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通りすがりのロボットウォッチャー 善いも悪いも人間しだい
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Reported by
米田 裕
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待ちわびていたホビーロボットの発売が、この春から夏に延びてしまったが、この3月には街中にロボットのイラストがあふれ出した。
首都圏で使えるICカード「PASMO」のマスコットキャラクターがロボットなのだ。ロボットのついたカードで電車もバスもさっと乗れるようになった。これは便利だ。
とまぁ、日本では、マスコットにも使われるほどロボットは役立つお友達というイメージだが、ロボットを軍事に使おうという考えが世界の国々にはあることを忘れてはならない。
● 新技術は軍事に転用されてきた
昨年7月にNHKスペシャルで『危機と闘う・テクノクライシス』の第2回目、「軍事転用の戦慄 ロボット」という番組が放映された。
無人航空機に搭載されたミサイルが地上にいた人間へ向けて発射され、爆発した映像が流れた。
画面の映像にかぶさったナレーションは「ロボットが人間を殺した瞬間です」とかなんとか言ってたと記憶している。
思わず画面に向かって、「そりゃ、ラジコン機に爆弾積んで落っことしたのと同じと違うか?」と突っ込んでしまった。
無人航空機は地形を判断して自律飛行をするが、偵察などの動作については無線でパイロットが操縦をし、オペレーターがカメラその他の操作をする。最後にミサイルを発射するかどうかの判断はモニター画面の前のオペレーターが決めることだ。
決して無人航空機が勝手に判断することではない。これは、リモコンで動く『鉄人28号』が、リモコンを持つ人間の命令によって、善いものや悪いものになっちゃうのと同じだ。
ロボットだからあぶなく怖いものになっちゃうのではなく、人間は新しい機械を手に入れると、それを戦争に使ってきた歴史がある。船、自動車、飛行機、潜水艦など、新発明があるとすぐに兵器として転用された。
飛行機なんかは最初、レンガを積んで飛んで、それを空から投げていたのだからのどかなものだが、それでも殺傷能力は高い。上空から落ちてくるレンガは破壊力があるしね。それがいつしか爆弾に代わったというわけだ。その流れがロボットにもつらなっている。「鉄人28号」だって日本軍の秘密兵器だったのだ(笑)。
● 怖いから強い物が欲しい人間
ロボットを兵器として使う利点は、人間がいなくても動作が可能という点だろう。自動車、飛行機、戦車、船舶などは、人間の運転が必要だった。
それらが攻撃されると、操縦者や乗員に死者やけが人が出る。こうした人的な被害は、戦争のなかでは負のポイントが高い。
現在では軍事大国といえど、兵士の死亡者が増えれば世論で戦争ができなくなるからだ。
それならば、ロボットを使うことによって、相手への攻撃はするが、自分たちの被害は最小限にしたいという考えが生まれてくる。
兵器というのは、びくびくとおびえている側が、自分たちは無傷に相手にだけダメージを与えたいと開発されてきたようなものだ。
人間は本質的にビビリなのに、戦うことを好むいびつな存在なのかもしれない。
こうした考えの犠牲となるのがロボットたちだ。破壊されようが、壊れようが、ロボットならそれほど文句は出ないだろうと、自律的行動をする――それをロボットというならば――車両、飛行機、船舶などが開発されている。
機械は命令通りに動き、その結果、街を破壊し、人を殺傷する。考えがないということは善悪の判断もできない。そうした機械は悪魔の手先として認識される。
これが、欧米におけるロボットへの恐怖心のひとつの形だろう。
欧米では軍事という枠のなかで、高額の予算が組まれ、ロボットが開発されている。日本では民間主導の非軍事的開発だ。しかし、その技術は軍事用に転用すれば大きな威力を発揮しそうなものが多い。
たとえば、海洋研究開発機構のAUV(Autonomous Undersea Vehicles)「うらしま」は自律して水深3,500メートルの深海を、燃料電池で数千km進めることをめざしている。現在では300km進むことに成功している。
この「うらしま」に弾頭がついていたら? レスキューロボットとして開発されているものに、もし武器がついていたなら穴に潜む敵を攻撃できると、世界の軍関係者は夢想しているかもしれない。
軍事への転用は日本のロボット関係者は避けたいと思っているだろう。
● ロボットに良心回路は作れるのか?
番組では、ロボットの軍事への転用を防ぐには、アシモフの「ロボット三原則」にのっとって運用すべきという意見で締めくくっていたと思うが、この「ロボット三原則」は、ロボットというよりも、ロボットを開発する人間に倫理観を与えるものだろう。
「ロボット三原則」をロボットに遵守させるのはむずかしい。もし、「ロボット三原則」のようなものができたとしても、それを本能のようにしておかないとダメだが、現在のようにロボットの行動が、CPUとその上で走るOSで決まるなら、プログラムであるOSに「三原則」を盛り込んでも無駄だ。
プログラムの改変なんてのは簡単だからだ。となるともっとコアの部分、ハードウェアとしての回路を作り、その回路がないとロボットが動かないということにしないといかんだろう。
となると、ロボットの頭脳としてのコアとなるCPU内部にそうしたハードウェアが必要になる。
そうなれば汎用CPUは使えない。ロボット専用のCPUが必要となる。そして安全に対する本能といったハードウェアを実装し、その回路がなければ動作しない形にしておく必要がある。
なんだか、石ノ森章太郎のマンガ『人造人間キカイダー』にあった「良心回路」みたいだ(笑)。
命令を回路の形で記憶し、その命令外のことをしようとすると回路が壊れて動作しなくなる。そんなものは作れるのかね?
プロフェッサーギルの笛で「うぎゃー!」と頭を抱えて苦しむ「ジロー」の姿が思い出される。
それでも、代替するCPUとOSで軍事用のロボットは作られてしまうだろう。そうした軍事ロボと「良心回路」を持ったロボットが「人間を守るために」戦うなんてのはマンガのネタになりそうだけど。
知りたかったのは、すでに開発も終わり、発売されることもなかったソニーの「QRIO」の対人間の処理はどうなっていたのかということだ。人間にケガをさせないことを盛り込んでいたと思うが、いまやその詳細はわからない。
もっとも、人にケガをさせないためにボディを小さくしていたのかもしれない。ホンダのASIMOほどになると、人間にケガを負わせる可能性も出てくるサイズだが、QRIOならタンスの上に置いていたのが、人間の上へ落っこちない限り、人にケガはさせないサイズだ。
ここらへんが、家電メーカーと、人に危害を加えてしまうかもしれない自動車メーカーの考えるロボットの大きさの差なのかと思っちゃうけどね。
● 人間側に求められる「ロボット三原則」
ロボカップでは、2050年に人間とサッカーで対戦するのを目標にしているが、「ロボット三原則」のようなルールは実装できないように思える。
「ロボットは人間に危害を加えてはならない」となると、サッカーでは「人間に危害を加える可能性」はいつもつきまとう。タックル、ボールの奪い合いや玉際の競り合いなど、人間同士でもケガをする可能性の高い部分だ。
これでは「ロボット三原則」を守れば、ロボットはサッカーの試合ができなくなる。ただうずくまって動けなくなりそうだ。だから、そのときのロボットには「ロボット三原則」は適用されてないだろう。
「骨折」するロボットがあるそうだが、それぐらい華奢なロボットでないと、人間といっしょにプレーはできないかもしれない。
ロボットが安全であるかや、軍事に使うか使わないかは、最後にはやはり人間が決めることだ。
善いも悪いもリモコンしだいの言葉どおりに、ロボットが好ましいものになるか、恐怖の対象になるかは開発する人間にゆだねられている。
人間の側にこそ自分の心の中に「ロボット三原則」を強く刷り込み、危険に対する想像力を磨かないといけない。それにはマンガやアニメ、小説で子供のうちから刷り込んでおくとよさそうだ。
日本のロボット平和戦略の武器はマンガやアニメとなる。金儲け以前に、人の命を守る強い倫理観を持った作品づくりをして、世界の子供たちへ発信してもらいたいものだ。
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米田 裕(よねだ ゆたか)
イラストライター。'57年川崎市生。'82年、小松左京総監督映画『さよならジュピター』にかかわったのをきっかけにSFイラストレーターとなる。その後ライター、編集業も兼務し、ROBODEX2000、2002オフィシャルガイドブックにも執筆。現在は専門学校講師も務める。日本SF作家クラブ会員
2007/03/23 00:01
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