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脳と機械を直結するBMI技術は身体観や人間観を変える
~「日本生理学会若手の会 サイエンスカフェ 身体と機械の境界」レポート


 9月14日、東大教養学部駒場ファカルティハウスにて、日本生理学会若手の会が主催するサイエンスカフェ「身体と機械の境界」が行なわれた。

 「サイエンスカフェ」とは、研究者たちと一般人が同じ目線でお茶や軽食を片手に科学について語り合うという趣旨の催し。近年、日本国内でも盛んに行なわれているが、日本生理学会若手の会主催の「サイエンスカフェ」が学会を離れた場で行われるのは今回が初めて。テーマは身体機能の拡張や拡大。

 今回のパネリストは、NTTコミュニケーション科学基礎研究所で人間の知覚特性や錯覚を利用したデバイスの開発等を行なっている雨宮智浩氏、東京大学研究拠点形成特任研究員で「エンハンスメントの哲学と倫理」という教育プログラムを主催している植原亮氏、東京スペースダンスの舞踏家・福原哲郎氏の3人。

 パネルではそれぞれ情報科学、哲学・倫理、そして身体論の立場から、マン・マシーン・インターフェイス(MMI)や、ブレイン・コンピュータ・インターフェイス(BCI)、ブレイン・マシーン・インターフェイス(BMI)に関してプレゼンテーションと議論が行なわれた。

 なお、当初このパネルではアニメ作品「攻殻機動隊」の脚本家として知られる Production I.Gの櫻井圭記氏が登壇予定だったが、都合により欠席となった。


身体と機械の境界

静岡理工科大学総合情報学部客員准教授/理化学研究所脳科学総合研究センター客員研究員 奥村哲氏
 まずはじめに生理学若手の会の運営委員で、静岡理工科大学総合情報学部客員准教授/理化学研究所脳科学総合研究センター客員研究員の奥村哲氏が「身体と機械の境界」と題して基調講演を行なった。奥村氏ははじめに「サイエンスカフェは講義の場ではなく質疑応答が中心。本当にやりたいことは対話。悪い意見はない、あるのは普通の意見と素晴らしい意見だけ」と全体の趣旨を述べた。

 今回の話題について奥村氏は、まず道具から振り返って考えたい、と始めた。言葉も道具の一種だ。そう考えると、身体と道具の境界はいたるところにある。脳を見ると中心溝を挟んで第一次運動野と第一次体性感覚野がある。両者の面積を人間の形に広げた「ペンフィールドのホムンクルス」の図は多くの人が見たことがあるだろう。面白いことに、たとえば左手の薬指を使うと、その部分の感覚をつかさどる部分が大きくなることが知られている。また早期失明者は1次視覚野を使って点字を読む。機能局在といっても、それには変化できる性質、すなわち「可塑性」があるのだ。

 また理研の入来篤史氏らは、サルに道具を持たせた研究で、道具を使うことによって大脳の連合野で受容野(ある刺激でニューロンが興奮する領域)が変化することを見出している。たとえば道具を持たせる前に手先付近の視覚刺激に反応していた細胞が、道具を持たせたあとは、道具の先端部分にも反応するようになる。脳は変わる。だから道具が使えるし、新しい環境や道具の使用は脳を変化させると考えられる。


大脳皮質の機能局在 脳の可塑性 道具使用で視覚受容野が変化する

 さて、では金槌のようなこれまでに存在した道具と、未来の道具は何が違うのか? SFでは以前から脳と機械を繋ぐというテーマが扱われてきた。一方、現実世界でも脳の情報を読み取ることが可能になり、ラットがロボットアームを操ったり、脊髄損傷によって四肢が不自由になった人への補綴技術として応用が探られ始めている。これらがBMI/BCI技術である。ラットの動きをコントロールしたり、義手を開いたり閉じたりできるようになったりしているし、脳波でゲームをやったりするのも段々普通になりつつある。

 だが脳手術をするのは大変だし、現在の電極を使った実験は粗っぽいものだ。半年くらいで駄目になるような技術は画期的ではあっても実用としては使えない。そのため、よりやわらかな素材で長期的に維持できる剣山型電極の研究開発なども進められている。

 もっとも大きな問題は、脳での表現様式が分かっている情報しかデコードして利用できないということである。また脳に意味のある情報を入力することは非常に困難だ。思考や記憶など高次機能はまだ見通しも立っていない。

 ただし、人工内耳や人工網膜などの例で見られるように、末梢感覚レベルでは一部機械への置き換えの試みも行なわれている。またネズミを使った実験では脳を直接、電気刺激を使って「報酬」に関わる部分を刺激すると、それがやめられなくなるということが知られている。またそれを使うことでラットの行動をある程度操ることができるようになっている。

 最後に奥村氏は未来の予測は難しいが、大事なことはどういう未来にしたいのか、どういう未来が望ましいのかということだ、とまとめた。


ラットのBMI装置 人間における研究も進んでいる 技術的課題はまだ多い

人工網膜などの開発が進んでいる 快楽中枢の直接刺激は自分でやめられなくなる ラットをロボットのようにコントロールすることが可能

自分の身体に対して無責任にならないと自由な動きは出てこない

 続けて舞踊家の福原哲郎氏が「スペースチュービングと、身体知の観点から見たエンハンスメント(生体改造)の問題」と題して講演した。イルディス工科大学客員教授、ミマール・シナン大学客員教授という肩書きも持つ福原氏は、理研の谷氏や入来氏とも交流があるという。身体と環境が最初から繋がったものとして扱っているところに共通点を感じたそうだ。

 福原氏は「スペースチュービング」という活動を行なっている。閉じた布の中に入ることで体を浮かせ、アンバランスな感覚のなかでふだん自分が忘れている感覚が思い出されるというもので、子供たちが体育館のなかでチューブに大勢で入って布の感触を楽しむ様子などを福原氏はビデオで見せた。


著書「宇宙ダンス」を持つ東京スペースダンスの福原哲郎氏 ダンサーによるスペースチュービング

 また、70kg以内の人がうまく体のバランスを使うと体が浮かぶのだという。そのときの身体の動かし方が無重力に近い状態になることから、身体の動かし方のヒントになるのではと、JAXAとの共同研究も行なっているという。

 現在、福岡県北九州市の「スペースワールド」と三重県松坂市の「こどもの城」で常設展示されているが、大人気なので全国色々なところに持っていきたいと思っていて準備中だという。スペースチュービングはアフリカのウガンダでも人気があったそうで、2万円程度で世界各国で市販することも構想中なのだそうだ。

 福原氏は自身の活動を、舞踏家による身体の拡張への挑戦と捉えているという。現代において、劇場の中だけでダンスしていればいいのではなく、無理がない範囲で自分が踊っているときの「感覚」をいかせるようなことがあるのではないかと考えているという。

 そのなかで、「倫理」のことは取りあえず一切関係なく、色々なことをやってみたいと語る。現実の世界で対話して成長していけるような分身ロボットや、BMIにより開発される電脳空間、そして電脳空間で身体は持てるのかというテーマに興味を持っているという。

 たとえば「身体を離れた心」をテーマにできるのか。「攻殻機動隊」に登場する草薙素子は最後に「人形使い」という人工知能と融合する。その草薙素子は電脳空間で身体性を持てるのか。持てるようになったところでバーチャルリアリティの研究者は、新しいテーマを持てるのではないかといったことを考えているという。

 また、自身のダンス映像を宇宙に送るといったプロジェクトも進めているそうだが、「それは面白いんだけど、電波で飛ばされても僕自身はそれを感じられない。情報といっても、元になった本人が感じられない、フィードバックされないのであればそれはどうなんだ。リアルなロボットもフィードバックがちゃんとできているとは思えない」と語り、将来の機械が人間と対話するような構造になるのか、また将来のロボットは人間が驚くようなリアクションを返さないといけないのではないかと述べた。


 そして福原氏は理研の谷淳氏の研究の一部を紹介した。ジョイスティックで円軌道を描くのだが、ユーザーが飽きて8の字を描くとプログラムがそれを受け入れて軌道を変化させ、楕円の軌道を描き始める、というものだ。これは、最初持っていたロボットの円運動がユーザーの情報を受けいれてロボットが変わったとも見ることができる。プログラムされた通りにしか動かないのではなく、このように変化することが必要だという。また「自動販売機にありがとうと言われても逆に腹が立つ」と語り、ロボットはあまり大上段に構えるのではなく「これだけはできると」いうところから始めるべきだと述べた。

 話は飛ぶが、視覚障害者にとっては杖の先が手の先であり、それ自体が身体の拡張だと考えられる。だが杖が身体の延長になっていることは、逆にいえば杖という異物によって身体が異物化されている、客体化されていると見ることもできる。そのときに身体を動かす脳は今までなかった出力をせざるを得ない。そういったことが、現在徐々に解明されつつある。

 福原氏によれば「踊るときに、自分の体だという意識だと踊れない」のだそうだ。あたかも臨死体験のように自分の身体を上から見て、自分の身体に対して無責任にならないと自由な動きは出てこないという。そのとき自分自身の身体は環境の一部になる。そのときに本当にパワーが出てくる、と語った。


人間の知覚や錯覚を利用したデバイスの研究開発

NTTコミュニケーション科学基礎研究所 人間情報研究部 感覚運動研究グループ 雨宮智浩氏
 NTTコミュニケーション科学基礎研究所 人間情報研究部 感覚運動研究グループの雨宮(あめみや)智浩氏は、ヴァーチャルリアリティ、心理物理学などの研究を経て、現在、人間の知覚や錯覚を利用したデバイスの研究開発を行なっているという。

 雨宮氏は「ヒトと世界のあいだ」と題して、内部と外部を分けているのは我々では皮膚、あるいは服だ。皮膚というテーマからハプティクス、服というテーマからウェアラブルについて語りたい、と話を始めた。

 ウェアラブルの本質は「着ている」ことではなく、親密性にあるという。たとえば歯ブラシやメガネは他人のものを使いたくない。そこには自分だけのものという、排他的な関係があって、代替ができないものが本来のウェアラブルだという。雨宮氏は究極的には埋め込み型になるのではないかと述べた。

 人間は外からの情報を感覚器で受けて効果器で返すことができる。だがBMIを使うと、感覚器と効果器を介することなく中枢にアクセスすることができる。これはインターフェイスの考え方において大きなパラダイムシフトだという。しかも運動出力や感覚入力などもさまざまな組み合わせが考えられる。


雨宮氏の経歴 ウェアラブルとはコンピュータを「着る」ことではない 直接中枢にアクセスできるBMIはパラダイムシフトになりえる

 ハプティクスとは広義での触覚である。触覚において入力と出力は分けることができない。雨宮氏は触覚を活かすハプティック・インターフェイスの研究の実例や可能性を示しながら話を続けた。

 人間は環境から情報を得ているが、たとえば止まった画像であっても動きを感じてしまったりする。バーベルを計測したときの重さと、人間の脳の中にあるその重さは必ずしも一致するわけではない。ここがロボットとの大きな違いだ。工学的にも錯覚は使われている。たとえばRGBだけでフルカラーを表示して毎秒30コマでモーションを呈示するテレビがそうだし、CDもそうだ。

 ハプティック・インターフェイスも研究はされているが、それらの多くのものは外部に固定されていた。非接地式の力覚ディスプレイでも、たとえばジャイロ効果などを使えば瞬間的なトルクは出せる。だが連続的な力は出せないし、並進力も出せない。そこで雨宮氏が作成したのは前から引っ張られるような感じがする「携帯型デバイス」だ。

 引っ張られる感覚は、引っ張る基点がないと起きない。装置だけで引っ張り感覚を出す。そのために装置内では重りが片側へ速く、そしてその逆へ遅く動くクランク運動をさせたい。人間はある範囲において、より速く動くものだけを感じる性質があるため、速く重りが動いている方向へ引っ張られているように感じるそうだ。たとえば携帯電話にそういった装置を入れることができれば、引っ張られることでナビされるようなデバイスが可能になる。

 面白く、かつ重要な点は「物理量と人間が知覚する量は一致しない」ということだ。雨宮氏は、お盆の中にこの装置を入れた「スマートサーバートレイ」の例もビデオで見せた。注文した人の方角が分かるトレイである。

 今はクランクスライダー機構を採用しているが、ばねとカムを組み合わせたり偏心型モーターを使うといったやり方もあり得る。また引っ張りの力をもっとなめらかにするために、自動車の多気筒エンジンのように組み合わせるといった工夫も考えているという。面白いことにこれを下向きにすると重く感じるが、上向きにしても軽くは感じないそうだ。


 また、雨宮氏は視覚と聴覚を失った人が使うための「指点字インターフェイス」の開発例や、「OBOE(オーボエ)」という点字入力デバイスも示した。指点字インターフェイスは指先に力覚で刺激を与えて情報を伝えるデバイスだ。そこそこ動くものが作れたが、その一方で人間の通訳者が大事な役割を果たしていることも分かったという。インターフェイスと人間を切り分けることは危険なのだ。

 そして、インターフェイスに関してもフィードバックが重要になってくるという。たとえば人間は自分で自分をくすぐってもくすぐったくないが、ある時間、遅れをもたせるとくすぐったく感じる。つまりフィードバックは自分と他者を切り分ける感覚としても使われている情報なのだ。インターフェイス研究は人間を知るための研究だという。

 雨宮氏はスポーツ競技用のウェア類を見せて、「これがパワードスーツとどのくらい一緒でどのくらい違うかは分からない」と述べた。またしっぽがあるものがいいなと半田付けの際に考えたといい、人間がどのくらい通常の四肢以上のものを付けて適応可能かという問題に関する興味も示した。

 また、「直感的に使える」という表現があるが、どこからどこまでが直感的なのかは難しい問題だ。例えばレジ打ちとバーコードリーダーを比較すると、仕事はバーコードリーダーのほうが早いが、レジ打ちは学習するに従ってどんどんはやくなり、バーコードリーダーはそれ以上早くならない。

 それと同様に、楽器を使うのが初めての人はまったく演奏することができないが、技術を身につけた人は身体の一部のように扱うことができる究極の機器の1つだ。つまり学習曲線がデバイスによって異なり、うまくできた気にさせるインターフェイスも重要なのではないかと述べた。


知覚される量と物理量の違いは利用できる 力触覚の錯覚現象を利用した力覚インターフェイス(ぶるなび) 【動画】クランクスライダー機構の動作の様子

【動画】非対称な振動で引っ張り力を知覚させる 応用例「スマートサーバートレイ」 重力の錯覚も起こる

指点字インターフェイス OBOE(オーボエ) フィードバックが重要

BMIはなぜ哲学・倫理学にとって興味深いのか

東京大学・共生のための国際哲学教育研究センターPD研究員 植原亮氏
 東京大学・共生のための国際哲学教育研究センターPD研究員の植原亮氏は「BMIはなぜ哲学・倫理学にとって興味深いのか」と題して、BMIによるエンハンスメントの倫理と哲学について講演した。新技術は社会との間に軋轢を生む。ではBMIのような新技術はどのように社会との軋轢を生むのか。これは応用倫理学において興味深いものだという。

 また人間とはどういうものであるのかを問う人間観にもBMIは影響を与える。人間観の行方、すなわち日常的な人間観に対して、どのような新しい人間観が広がっていくのか、そこが哲学や倫理学にとっても興味深い対象だという。

 たとえばBMIは治療あるいは補助に使える。当然、安全性の問題も出てくる。その使用は自己決定でいいのか。また保険適用はどうするのか。BMIは公的保険でどこまでカバーすべきなのか。こうした問題が1つ挙げられる。

 そして2つ目はエンハンスメントである。エンハンスメントがどこまで技術的に可能かはまだ分かっていないが、可能になった場合の影響は大きいので、今から考えておくことが必要だ。たとえば知的能力を拡張できるようになった場合、それが高価な技術であったら格差の拡大に繋がる可能性もある。

 一方で逆の意見、すなわち格差の解消に繋がるという意見もある。また、BMIが広がって一般的になった場合、使用を社会的に強制される場合もある。使いたくないという人の自己決定権はどうなるのか。現在のPCやケータイでも所有を実質的に強制されている問題があるが、それと同じだ。

 これらの問題がどのようにコンセンサスを得ていくのか。コンセンサスが得られれば軋轢の多くは解消されていく、と植原氏は語る。ではどのようにコンセンサスを形成するべきか。「自立性」「責任」「自己決定」「人格」というキーワードを使ってよく議論が行なわれる。だがそれらの言葉の意味は必ずしも明らかとはいえない。そこに哲学者は興味を持つ、という。

 たとえば人間は自由な意思で行動している自律的な存在だとされている。だから自己決定によって責任が取れる、それが人格や自己という主体の仮定へと繋がる。しかし、BMIはこうした日常的人間観を変化させるかもしれない。つまりコンセンサスを得るための基礎概念そのものを変化させるかもしれないのだ。


 大雑把に言うと、BMI出現によって人間は機械と滑らかに相互作用できるものだ、すなわち人間は機械の一種である、という考えが普及し始める可能性がある。人間そのものを電気信号で動く機械だという考え方が出てくると、これによって、意図や責任を持つ行為の主体であるという我々自身の自己理解はどうなるのか。

 思想史的に人間は、自由意志を持っているから人間の尊厳があるんだ、そんな存在として考えられてきたという。だが科学は、実際にはそうではないということをどんどん明らかにしてきた。コペルニクスは地球は宇宙の中心ではなく平凡な場所に過ぎないことを示し、進化論は人間は単なる動物の一種だということを明らかにした。BMIも同じような働き、「科学的啓蒙」の最後の一撃として働き、科学的人間観がBMIで完成するのではないか、という。

 たとえば人間の振る舞いをよりミクロなレベルで説明するようになると、刑罰に関する法システムは、犯行は動機や責任能力ではなく、脳の特性から評価されるようになり、刑罰よりも脳の治療を重視するような発想になるかもしれないという。

 この意見に対しては典型的な2つの反応に分けられる。「人間性の破壊」だという反対派と、これまでと同じで、我々の認識がより深まるだけだという賛成派だ。

 一方で日常的な人間観を再検討してみることで、この2つとは違った道筋も考えられるという。たとえば日常的な人間観は説明上のフィクションだったのだと考えることができる。フィクションといっても役立たないわけではない。たとえば物体の重心や赤道といった概念は非常に役立つ。日常的にも貨幣や市町村、法人といった概念は社会の維持と発展に貢献している。日常的な人間観もこれに類したものと考えることができるのではないか。

 たとえば人を人格を持った存在と見なすことは有用で、しかも手放しがたいフィクションなのではないか、という。であるならば、そのフィクションはBMI浸透後も成立するのではないかと植原氏は語る。また今もっている日常的な人間観、人間性がBMIによって拡張するかもしれない。BMIと結合する機械の側も、人間の仲間だと捉えるような人間観だ。


人間観の行方 BMIは科学的啓蒙の最後の一撃? 主体がフィクションであっても役には立つ

人間は機械の仲間か、それとも機械が人間の仲間なのか BMIは人間観に変更を迫る可能性がある

パネルディスカッション

パネルディスカッション
 このあと、パネルディスカッションが行なわれた。パネルはおおむね、哲学者の植原氏や科学者の奥村氏に対して、舞踊家の福原氏が自身の哲学をぶつける形で行なわれた。福原氏は、いま一般的に言われている倫理観は西洋の倫理に過ぎず、イスラム圏も含めればそれらはまた別物だという。また研究者は、結局のところ楽しいからその研究をやってるんだということをはっきり言ったほうがいいという。

 福原氏は「ちょっとした違いが個人にとっては重要」だという。「身体の時代の面白さは平均的なものを破ってしまうこと」だとし、「科学者が新しいダンスをはじめたり、舞踏家が新しいロボットを作ったりしてしまう」といったことも、これからは起きると述べた。

 会場からは理研の藤井氏が発言し、「異端であることが悩みでもあり強みでもある。私はBMIの研究を昨年の今頃から始めているが、出口を探っている。好きな人とオンライン経由で繋がるとか、エロも含めて愛からBMIの楽しさが広がるといいかなと思う。人が繋がることは最大の喜びだ」と述べた。

 雨宮氏は触覚研究をやっている立場から、エロへの応用を含めたベンチャー企業から誘われることもあるという。エロに限らず問題は「何を人間の評価関数の値として持っているのか」ということだという。たとえばスピード社の水着は泳ぐスピードを速くする為に開発されたが、日本の企業は選手個人の着心地を考えていた。他者との係わり合いやそれを取り巻く技術においても、何を評価関数とするかが重要だ。


 奥村氏は、一見良いと思われる方向性でも問題がある例として、オキシトシンの話題を提供した。オキシトシンはホルモンの一種だが、人間の「他者の信用しやすさ」と関わりがあることが分かっている。たとえば人間が互いに信用し合える社会はいいのではないかと思えるが、一方で、独裁者や詐欺師に騙されやすい社会でもある。つまり人を疑う能力は、ある程度ないと困るわけだ。また日本では軍事技術からは距離を置いている研究者が多い。その辺のセンスが重要なのではないか、科学者全体が市民社会全体のコンセンサスを受け入れることができるやり方が大事だと述べた。

 これに対し福原氏は「そんなことは当たり前で、人類は結果的にヒトラーは止められなかったし、原爆の開発も止められなかった。それらの歴史を踏まえて言ってもらいたい。でないと何の説得力もない」と一刀両断した。これからの技術は悪利用されても平気なように提案しないといけないと述べた。そして再び、楽しいからやっていると言ったほうがいいと思うと語った。

 奥村氏は、「楽しいということも僕自身はこだわりつづけているところ」と応えた。善悪も価値観も多様だ。確かに科学者は核兵器開発を止めることはできなかったが、事後的ではあってもその後反対している人たちもいる。結局のところ、論争の場から逃げないことが重要だと思うと述べた。「自分が思うことは言う。透明性を高めていくことが大事だと思う。それは自己責任ではなく社会に投げてしまうことかもしれないけど、それが習熟された望まれる社会であるべきだし、それが民主主義だと私は信じています」と語った。

 このあとも議論は続いたが、残りは割愛する。会場からは「死ぬまで自分の体力や能力が上向きだという実感が持てるようなBMIがあると楽しいのではないか。錯覚でもいいので、加齢の感覚が緩和されるといいなと思う」という意見があった。筆者個人もそう思う。


舞踏家の福原哲郎氏(左)と司会の丸山篤史氏 植原亮氏(左)と雨宮智浩氏 パネルディスカッションで出たキーワード

URL
  日本生理学会若手の会
  http://youngphys.tobiiro.jp/
  Science Cafe -身体と機械の境界-
  http://youngphys.tobiiro.jp/sciencecafe2008part2/home.html

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( 森山和道 )
2008/09/16 22:07

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