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通りすがりのロボットウォッチャー 大きな赤ん坊ロボは大器晩成タイプ?
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Reported by
米田 裕
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1996年末にホンダのP2が発表され、研究畑以外から2足歩行ロボットが登場した衝撃は大きかった。
「なんだ、歩くやんか!」と呆然と画面を見ていた。
1970年代から2足歩行ロボットの研究はされていたが、テレビで報道される大学の研究室のロボットは、よちよちと歩く状態がせいいっぱいで、とても人間なみに歩けるとは思えなかった。
それがヒョコヒョコと軽妙に歩き、階段を登ったりするP2の映像に、「びっくらこいたじょー」と点目状態となった。
なにか仕掛けがあるのではと、勘ぐってみたりしたが、どうやら、ちゃんと2本の脚でバランスをとって歩いているのは確かだった。
こうなると、人間型ロボット、アンドロイドもすぐにできそうな錯覚にとらわれたが、それから10年以上が経った現在、まだ、自律し思考する知能を持ったアンドロイドは生まれてない。
● この10年の壁は何だった?
人間とロボットの間には「知能」や「意識」という、深くて向こう岸がよく見えない川があったのだ。
この川を渡る方法は、まだハッキリとした答えは出ていない。どうやったら渡れるのか? さまざまな模索がされている。
人が、自分たちの知能や意識についての解明もできてないので、それらを人工的に作ることは不可能という考えもある。
そればかりか、身近にいる猫や犬についてさえ、なにがしかの意識があるのかどうか?それを証明することはとても難しいというのだ。
しかし、一時期販売されていたペットロボットには、感情モデルがあるとされていた。数値化された反応により、「感情」を表現するというものだった。
これはあくまで「感情」で、「知能」や「意識」ではないわけね。その「感情」も、人間側が作りこんだもので、自発的に出てくるものではなさそうだ。
それでも人間がだまされれば幸せなのかもしれない。動物系癒しロボットなどは、その人間の思い込む力を利用しているといえるしね。
人をだますのに成功した偽物と、本当に知能を持った物は区別できるのだろうか? そうした問題に取り組んだチューリングテストなんてのも1950年代からあるし、哲学者も当時から強い関心を寄せていたようだ。
今から50年以上前に問題提起されたものが、まだ解決できないのだ。この先50年でどうなるのだろう?
● 人間は他の知性に出会いたい
いま、とってもわくわくとするのは、人間以外のコミュニケーション可能な「知性」を持ったものが現れることだ。それは宇宙人でもいいし人工のものでもいい。
人間は長い間、他の知性と出会わずに孤独でありつづけた。人間同士のコミュニケーションでは、まったく異質な論理や感覚からの視点がない。そのためにだんだん種として寂しさを感じ、鬱になってきている。
だから、人間がコミュニケートできる異質な「知性」の登場を心待ちにしているわけだ。
その役割をロボットに託してみたが、まだ「意識」や「知性」を持ち、人間とコミュニケートをしてくれる存在はない。いつか時間が解決してくれるものなのだろうか?
時間がかかっても無理という考えもある。人間の作るものは、人間の想像力によって枷がはめられる。人間が考えることができないものは作れないのだ。
『機動戦士ガンダム』の世界は、モビルスーツというロボットがあり、さまざまな未来科学のある世界だが、自立したロボットはハロ以外登場しなかった。
あれだけ科学が進んでいる世の中でも、人間に代わる知性を持ったロボットはできないというメッセージでもありそうだ。
『機動戦士ガンダム』の生まれた1970年代後半ではロボットは夢のまた夢だった。しかし、原子力はあったし、核融合もなんとかなるだろうと思われていた。そして、重機の延長としての巨大機械としてのロボットは兵器として成り立つだろうと考えることができた。
だが、ロボットに使える未知の人工知能については考えられなかったのだ。人間のミュータントとしての可能性は考えられたけど。
現実のロボットも、機械の発達の方向に順当に進化してきている。2本の脚で歩き、腕や手もあるロボットはホンダのP2以降も続々と登場し、ホビーロボットでも操縦型2足歩行ロボットは当たり前となった。
そして人間が行なっている操縦の代わりに、作りこんだ人工知能を埋め込もうとしているのが現在のロボットの道筋だろうか。
● 自己学習する赤ん坊ロボット
ロボットの知能を人間が作るとなると、プログラムの形となる。IF~THENといった書式になると思うが、そうしたアルゴリズムによるもので、知能と呼べるものができたとしても意識までは生み出せないという。これは数学者ペンローズが言う、計算不可能性こそ、意識の源であるという考えからだ。決定的だがアルゴリズムによらないもの、それが意識だという。
ならば、自己学習型の人工知能によって、自分で知識を吸収し、意識を生み出してもらおうというアプローチもでてきて不思議ではない。
いままでは、コンピュータ内のシミュレーションで自己学習型知能を作ろうとしていたが、知能と身体には密接な関係があるという仮説がある。身体を動かし、フィードバックがあることで知能ができ、さらに学習をしていくことにより意識や知性が生まれるというものだ。
そのプラットホームとなるロボットが、科学技術振興機構の戦略的創造研究推進事業 ERATO型研究「浅田共創知能システムプロジェクト」が開発した「CB2」だ。
新聞などの報道ではわからなかったが、本誌RobotWatchの記事と動画を見ると、いままでにないものだということがわかった。
こりゃすげー! と、2足歩行ロボットを初めて見たとき以来の衝撃をうけた。
CB2の詳細については、本誌のレポート記事を読んでもらうとして、一般の新聞やテレビでの報道は、少し的外れだった気がする。
「柔らかい身体」「子供のロボット」「なめらかな動き」といった言葉でくくられてしまい、本当のすごさが伝わってこなかった。
内部の機械の製作が株式会社ココロというので、アクトロイドのようなものかと、失礼ながらカン違いしてしまう要素もあったのがもったいない。
ところが、動いている様子を見ると、簡単な反応系だけが組み込まれ、後は人間とのかかわりの中から、ロボット自体が知能を獲得していく仕組みがあるように見えた。
1歳児の知能を目指すというが、それだけでも、できたらすごいことだ。異質な何かの誕生を予感させてくれる。
身体は、固定されていて空気圧で動くのかと思っていたが、そうではなかった。背中から空気チューブを引きずっているが、2本の脚で立つこともできるのだ。
後ろからの姿を見て、アンビリカルケーブルを連想し、「エヴァか?」などと思ってしまったが、顔はわりと愛嬌がある。
科学技術振興機構サイトにある写真を見て、思わず、頭ツルツルだった故桂枝雀師匠が「たまやぁ~」と叫んでいるように見えてしまい「お久しゅうございますなぁ」と懐かしい気分になった。
人間が引き起こすとすくっと立ち上がるが、その姿はかなり自然だ。見ているだけで、よくできましたと、おもわず、頭をぐりぐりとなでてあげたくなる。
CB2の頭の中には、頭脳に当たる部分はなさそうだ。身体の内部は、カメラ、マイク、歪センサーといった各種センサー類とアクチュエーターで占められているのだろう。動力用の圧縮空気生成と制御は外部で行なわれているに違いない。
この先、知能がインタラクションによって生まれて育っていくのかどうか。1年ぐらいたたないとアウトプットが出てこないだろうという。
赤ん坊にしては130cmと大きな身体なので、大器晩成タイプなのだろう。ゆっくりと知能を育んでいくのだ。
そうした知能が生まれたときに、身体と密接に関係しているのなら、他のロボットにも応用がきくのかはわからない。CB2の身体以外にも移植できる知能はできるのだろうか?
それでも、久々にわくわくとするロボットが登場したものだ。いつかはへその緒(背中にあるからへその緒じゃないか)を断ち切って、自分だけで動けるように成長してもらいたいものだ。
がんばれ、赤ん坊ロボCB2!
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米田 裕(よねだ ゆたか)
イラストライター。'57年川崎市生。'82年、小松左京総監督映画『さよならジュピター』にかかわったのをきっかけにSFイラストレーターとなる。その後ライター、編集業も兼務し、ROBODEX2000、2002オフィシャルガイドブックにも執筆。現在は専門学校講師も務める。日本SF作家クラブ会員
2007/08/31 00:18
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