Robot Watch編集長
伊達浩二
私は'60年代の始めに生まれた世代なので、マンガやアニメの物語の中で、人間のパートナーとしてのロボットという存在になじんで育った。
それは、主人公と会話を交わし、自分の判断を持って行動し、ときには人間以上の能力を発揮して、主人公の窮地を救う存在だった。
当然のことながら、21世紀に入るころ、大人になった自分の周囲には、これらのロボットがいて、仕事や生活のパートナーとして活動していることを疑わずに生きてきた。
'80年代の人工知能ブームや、生産機械としてのロボットブームを経て、21世紀を目前に迎え、そういう夢も忘れかけていたころ、ホンダのP3に出会った。ゆっくりとだが、着実に二足歩行するP3は160cmとは思えないほど、とても大きく見えた。やっぱり21世紀になると“歩くロボット”が、すぐにも手の届くところに来るのだと信じた。
しかし、それからの歩みは遅々としているように感じる。もちろんASIMOなどの新しいスターが生まれ、より難しい動作も可能となっている。一方では、二足歩行ロボットのノウハウも広まり、キットの普及もあって、ある程度の技量があれば歩くロボットを自分の手で作ることも可能となっている。
ただ、ここで想定しているようなパーソナルなパートナーを目的としたロボットについては、何が求められており、何が足りないのか、という答えすらなかなか見えていない。いつ収益をあげられる存在になり、産業として自立できるのか、誰も答えられない状況が続いている。悲観的な調査結果や撤退のニュースが大きく伝えられ、一時の熱はさめつつあるようにみえる。
機械という存在に人格を感じてしまうほどに思い入れを持つことができる人々にとって、この状況は望ましいものではない。このままではいつまで経っても、ロボットというパートナーに会うことができないのではないかという危機感がある。
そのような危機感から、この媒体を作ることにした。私達は、非力な存在であり、知識も足らず、行き届かないところも多いと思う。それでも、この媒体が存在することによって、ロボットというパートナーと生活を共にできる日が、少しでも早くなることを願うのみである。
( 伊達浩二 )
2006/05/29 00:02
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