10月13日、東京・六本木にある泉ガーデンコンフェレンスセンターにて「東北大学脳科学グローバルCOE発足シンポジウム」が開催された。「脳神経科学を社会へ還流する教育研究拠点」を掲げ、生命科学を基盤に据えた脳神経科学研究を行ない、かつ、脳神経科学リテラシーを持った人材を社会へ還元することを目指すという。
研究グループは、遺伝子から個体の行動までを扱う「ゲノム行動神経科学グループ」、認知機能を脳と身体、環境との相互作用で理解する「身体性認知脳科学グループ」、人間を取り巻く環境や人間同士の関連性までを包括的に扱う「社会脳科学グループ」の3つに分かれている。そのうち「身体性認知脳科学グループ」では、東北大学大学院 工学研究科 電気・通信工学専攻 工学教授の石黒章夫氏が「脳・身体・環境の相互作用から生み出される知能~ロボットを作りながら理解する構成論的アプローチ」というテーマで研究を行なう。
まずはじめに東北大学副学長の菅村和夫氏は「脳神経科学の究極は人間を知ること。脳神経科学の進展は人間の未来を切り拓く上でもっとも重要な研究課題。国内外から優れた人材が東北大学に集まって研究を行なう拠点となってほしい」と開会挨拶を述べた。
文部科学省高等教育局大学振興課大学改革推進室長の井上卓己氏は、グローバルCOE(GCOE)プログラムそのものについて解説した。GCOEの背景には2つの潮流があるという。1つは平成14年度から行なわれた「21世紀COEプログラム」である。その反省のなかでさらに国際競争力をつけていこうということからGCOEが始まったという。
もう1つは中央教育審議会から、教育についてもっと意図的に大学院に対して支援をしていく必要があるのではないかという意見が出てきたこと。GCOEに選ばれた拠点は、研究面で優れていることは前提とした上で、さらに教育においても力をいれることが求められている。
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東北大学副学長 菅村和夫氏
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文部科学省高等教育局大学振興課大学改革推進室長 井上卓己氏
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東北大学大学院医学系研究科 附属創生応用医学研究センター ゲノム機能解析部門形態形成解析分野教授 大隅典子氏。研究拠点リーダー
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続けて、研究拠点リーダーを務める、東北大学大学院医学系研究科 附属創生応用医学研究センター ゲノム機能解析部門形態形成解析分野教授の大隅典子氏が、全体の背景説明を行なった。
東北大学は全部で5つのGCOEに選ばれている。脳科学GCOEはその1つだ。東北大学は脳科学においても、本川弘一元総長による脳波研究から始まる、古い歴史を持っているという。GCOEでは分子発生系神経科学と認知機能系脳科学の2つが主な柱となっている。遺伝子から分子、細胞、回路、システム、個体、行動、環境にいたるまで階層横断的な研究を進めていく。
また基礎科学分野にとどまらず、さまざまな周辺分野や、応用分野にも広げていく。脳と機械をつなぐブレインマシーンインターフェイス(BMI)など工学分野や、医療・介護分野への応用・連携を視野にいれて、人材養成を行なっていく。広い分野から人材を受け入れ新規分野を開拓できる研究者、脳神経科学の知見を持った「超高度職業人」の養成を目指す。各研究グループでは、グループ内でのやりとりだけではなくグループ間でもやりとりを行なって連携を図る。社会人の受け入れも行ない、インターネットを活用したバーチャル講義・演習システムを活用するという。また、若手研究者によるアウトリーチ活動や市民向けの講演や交流会活動も積極的に行なっていく予定だ。
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東北大学での脳科学への取り組みの歴史
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分子から行動・社会まで階層を横断した研究を行なう拠点を目指す
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研究体制
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ゲノム行動神経科学グループ概要
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身体性認知脳科学グループ概要
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社会脳科学グループ概要
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このあとシンポジウムでは3グループから2名ずつが講演を行なった。本誌では、文部科学省特定領域研究「統合脳」の領域代表者で玉川大学脳科学研究所所長の丹治順氏による基調講演と、ロボットを使った研究を行なっている石黒章夫教授の講演を中心にレポートする。
● 基調講演「日本における脳科学の現状と将来展望」
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玉川大学脳科学研究所所長 丹治順氏。文部科学省特定領域研究「統合脳」領域代表
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丹治順氏は、日本における脳科学の現状と今後について、どのような観点が必要かということから講演した。
現在、世間での脳科学研究への期待や関心は非常に高い。応用範囲が非常に広いからだ。各種精神疾患や神経難病だけではなく、子供の脳発達と教育、ロボットや人工知能研究への応用、さらに社会での文化活動における貢献なども期待されている。
総合科学技術会議による第3期科学技術基本計画では脳科学の6分野が重要研究課題として挙げられている。「脳や免疫系の高次複雑制御機構の解明等生命の統合的理解」「情報科学との融合による、脳を含む生命システムのハードウェアとソフトウェアの解明」「こころの発達と意思伝達機構ならびにそれらの障害の解明」「精神・神経疾患、感覚器障害、認知症、難病等の原因解明と治療の研究開発」「子どもの健全な成長発達および女性の健康向上に関する研究開発」「リハビリテーションや感覚器等の失われた生態機構の補完、要介護状態予防の研究開発」だ。
しかしながら最近数年間では脳科学研究の大規模プロジェクトは開始されていない。ではここに至る10年間はどうだったか。総合科学技術会議の前身・科学技術会議では、脳科学委員会が設置され、脳を知る、守る、創る、育むという4領域が研究開発領域として設定された。これをベースにロードマップが作られ、多数の脳科学研究プロジェクトが作られ、多くの成果が出た。
しかし脳科学委員会は平成12年度で廃止された。これにより日本の脳科学研究を総合的・計画的に推進するための基本的方針を示すための組織がなくなり、次へ発展させる方策が採られなかった、という。現在では、文部科学省研究振興局が「脳科学研究推進に関する懇談会」を設置、研究推進戦略の検討を行ない、平成19年5月に「脳科学研究ルネッサンス」という新たな提言がまとめられた。
戦略の要点は、研究者の自由な発想に基づく自由発想型の基礎研究と、明確な目標に向かって集中的に資源を投入する目標達成型の研究開発、この2つを両輪とするというもの。そして、研究の方向性を総合的に検討し方策を示す組織「脳科学委員会」を設置すること、研究者によるネットワークと研究拠点の設置を提言している。
また平成20年度以降に、政策として脳科学を重点的に推進することを文部科学省ライフサイエンス課が提案している。そして目標達成型脳研究「脳を学ぶ」分野を中心に概算要求している。また研究拠点形成については、バーチャルな拠点を設置し、研究者組織が研究を企画することを目指しているという。
丹治氏によれば研究拠点設置が重要である理由は、脳科学がミクロな世界からマクロな世界まで幅広い階層にわたっているからだ。それぞれの研究が自分の分野に埋没ししないように、多くの分野を統合的に推進し、発展させることが非常に重要だという。また、新技術やバイオリソースの共有、若い担い手である研究者の養成が必要だからだと丹治氏は強調した。
丹治氏が代表を勤める文部科学省特定領域研究「統合脳」では、分子脳科学、神経回路、脳高次システム、脳の病態、それぞれの分野、そしてそれぞれの分野をブリッジする研究を行なうことを目標としている。
このプロジェクト終了後は、より広い取り組みで、「脳とこころの融合科学」を掲げて研究を進めていくことが重要となる。研究対象と研究手法を縦糸と横糸とし、さらにいわゆる理系だけではなく、人文・社会科学の研究者たちとも積極的に共同研究を行なっていくことが必要だという。
これらをすべて取り入れた新しい拠点設置を必要としているが、物理的に大きな研究所を新規に作ることはなかなか難しいのが現状だ。そこでバーチャルな研究所を作るべきだと考えているという。丹治氏は「東北大学脳科学GCOEは始まり。学際的な研究を行なうこの組織を利用して、さらに発展させて政策への働きかけが必要。そういった面からも研究活動の発展を舞台にして、次の段階まで発展させてほしい」とまとめた。
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文部科学省特定領域研究「統合脳」の各分野
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これからは幅広い分野と共同で「脳とこころの融合科学」を目指すべきだという
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● 「脳・身体・環境の有機的連関から生み出される知能 -ロボットを用いた構成論的理解-」
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東北大学大学院工学研究科 電気・通信工学専攻 教授の石黒章夫氏
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東北大学大学院工学研究科 電気・通信工学専攻 教授の石黒章夫氏は、「脳だけを調べていて生物知能のからくりを本当に理解できるのか」「ロボティクスは生物学に対してどのような貢献ができるのか」という観点から「脳・身体・環境の有機的連関から生み出される知能 - ロボットを用いた構成論的理解 -」と題して講演した。
脳を調べるだけでは理解できない知能とは、脳・身体・環境の有機的関連から生み出される知能のこと。石黒氏は掃除ロボットを使ったチューリッヒ大学のファイファー教授の研究室での研究事例を引き合いに出して、この概念を説明した。
このロボットはセンサー2つ、モーター2つからなり、それぞれのセンサーからモーターへは、興奮性と抑制性、それぞれの結合がある。つまりセンサーは対象を認識すると片方のモーターには興奮、もう片方のモーターには抑制のシグナルを送る。
ごく簡単なシステムだが、このシステムを使うだけで、斜め方向に障害物があることを検知すると回避できるロボットを作ることができる。さらにこのセンサーは指向性を持っており適切な角度に付ければ、障害物が真正面に来たときにはロボットからは見えないので障害物を押しながら進ませることができる。
このロボットをしばらく動かすとどうなるか。非常に単純な仕組みのロボットなのだが、やがてゴミは、(あくまで結果的に)ところどころのポイントに履き集められたような状態になる。一見すると、ロボットが目的を持ってゴミを集めたように見える。
これはセンサーを取り付けた方向が少し違っていると、生まれない現象だ。この例は、知能の所在を脳やプログラムだけに還元することはできないことを示している、という。
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チューリッヒ大学ファイファー教授の掃除ロボット
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センサーからモーターへは興奮性と抑制性のシグナルが送られる
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実験結果。だんだんゴミが集められていく
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また知能は、2つに分けられるという。ひとつは「反省的な知」。これまでの一般的なロボティクスや人工知能が対象にしていたのはこちらである。もうひとつは、行為的な知、生成的な知である。こちらはもっとも根源的な知であり、身体性脳科学は、脳、身体、環境の創発で、その根源的な知の解明を求めているという。
石黒氏は、現状の多くのロボットは、すべてを制御系で何とかしようとしており、それは非常に不自然だと述べた。いっぽう、受動歩行を行なうおもちゃの類は身体の力学的特性を活用し、ごく自然に歩行のような運動を見せる。これらは、身体が振る舞い生成を計算しているとみなせるという。
身体性認知脳科学は、脳と身体が「渾然一体」となって、互いに切り離すことができない領域に着目すべきだという。特に、脳が寄与する部分と身体が寄与する部分からは単純な「足し算」ではない機能が創発することを狙っていると語る。
石黒氏は、これまでのロボットにおける、ある目標値をコントローラーに与えて身体系を制御するという試みは「制御系の設計そのものは難しいが、別の意味では楽だった」と述べた。いっぽう生物は、制御系と身体と環境がまぜこぜになり、渾然一体となっているのではないかと考えているという。だが、生物を直接研究対象とすることにはさまざまな困難が伴い、難しい。そこでロボットの出番となる。
材料やアーキテクチャは異なるが、生物もロボットも3次元力学環境で動いているという点では共通している。石黒氏はローカル情報から身体を制御する蛇型ロボットや、2関節筋を持たせた歩行ロボット、受動歩行機能を取り入れた歩行ロボットの研究の様子をビデオを使って示しながら、今後の研究の方向性について説明した。
最後に「工学系の立場から見ると、有限の計算的・物理的資源しか持たない生物が、無限の変化の可能性を示す環境に適応できるのは本当にすごいこと。身体性認知脳科学は生まれたばかりの若い学問です。ぜひ東北大学で一緒に研究しましょう」と呼びかけた。
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「反省的な知」と「行為的な知、生成的な知」
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現在のロボットの動きは不自然だという
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受動歩行を行なうトコトコおもちゃ
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これからは脳と身体が渾然一体となった領域を研究対象にすべきだという
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石黒氏が考える生物の知能のモデル
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脳と身体が渾然一体となった生物を直接調べることは難しい、そこでロボットの出番
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石黒研究室での各種ロボット
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生物に学び、生物を解き明かすロボットを各種研究中
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■URL
東北大学脳科学GCOE
http://sendaibrain.org/
石黒研究室
http://www.cmplx.ecei.tohoku.ac.jp/
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( 森山和道 )
2007/10/22 17:47
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