9月21日(日)~23日(火)の3日間、福岡県八女市宮野町の福島八幡宮において、国指定重要無形民俗文化財に指定されているからくり人形「八女福島の燈籠人形」の公演が行なわれた。
八女福島の燈籠人形(以後、燈籠人形)は、毎年秋分の日の前後3日間に、福島八幡宮境内に臨時に作られた屋台で上演される。以前は町内ごとの当番制で燈籠人形の公演を福島八幡宮の放生会に奉納していたが、昭和32年(1957年)に「八女福島の燈籠人形保存会」が結成され、現在では保存会による上演が行なわれている。
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街角に貼ってあったポスター。燈籠人形の公演を中心として、八女市の秋のイベントになっているようだ
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福島八幡宮の参道。お祭りなので賑わっていた
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燈籠人形の公演をする屋台。普段は倉庫にしまわれているが、公演の1カ月くらいに前に組み立てられる。分解することが前提となっているため、釘は一本も使用されていない
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屋台前には石垣があり、実はそこが観覧の特等席。座るには不安定なのだが、今まで石垣から落ちて怪我をした人はいないとのこと
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舞台は三段構造となっていて、1番上が囃し方の部屋。舞台に座っている子供は「後見役」といい、昔は上演中に消えた蝋燭の明かりをつけていたりした名残とのこと
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● 他に例を見ない操作方法のからくり人形
燈籠人形は、以前は人形型の燈籠を奉納していたことからこの名前があるが、特異な操作方法によるからくり人形だ。
「横遣い」という棒を使った操作技法により、人形が橋の上で踊り、また渡っていくところに特徴がある。このような操作技法のからくり人形は他に例を見ないため、昭和52年(1977年)に国指定重要無形民俗文化財に指定された。
● 燈籠人形の歴史
燈籠人形の歴史について八女郷土双書「改訂燈籠人形夜話」(杉山洋著/八女本町筋を愛する会発行)を参考にして紹介する。
福島八幡宮は江戸時代初期、一国一城令によって廃城となった福島城の跡地に建立された神社だ。その福島八幡宮の祭礼である放生会(当時は旧暦の8月15日に行なわれていた)に氏子が燈籠を奉納するようになった。それが山鹿燈籠(熊本県山鹿市)の影響を受け、細工物の燈籠、特に人形型の燈籠が作られるようになり「燈籠人形」と呼ばれるようになった。
燈籠人形がからくり人形になった理由は、この福島地区で大庄屋を務めていた松延甚左衛門の影響によるところが大きい。
松延家は代々福島地区で大庄屋を務めていた家柄で、彼も若くして大庄屋職を継いだ。しかし、久留米藩内で起こった農民騒動の影響もあり、宝暦7年(1757年)松延甚左衛門は25才で大庄屋の職を投げ打ち大坂(現在の大阪)に移住。大坂・道頓堀にあった人形浄瑠璃の芝居小屋「豊竹座」の座付き作家となる。名前も福松藤助と改め、何本もの人形浄瑠璃の脚本を書いている。
当時の人形浄瑠璃の芝居は、からくり人形公演で評判を取った竹田近江からの伝統で、演出としてからくり人形も登場していた。こうして松延甚左衛門こと福松藤助は、からくり人形と親しく接することとなった。
しかし、豊竹座が焼けたこともあり、次第に人形浄瑠璃の人気は衰退。福松藤助も久留米藩の許しを得て、明和8年(1772年)に故郷の八女・福島地区に帰ることになった。帰郷した福松藤助は、人形浄瑠璃芝居とからくり人形の技術をこの地区に持ち帰り、明和9年(1773年)に福島八幡宮放生会の燈籠人形を動かす方策と演出方法を申し入れた。これにより、燈籠人形はからくり人形となった。
福島八幡宮のからくり人形(燈籠人形)は評判となり、安永8年(1779年)久留米の五穀神社の祭礼において久留米藩主の前で興行をするまでになった。この興行は好評で、その後も五穀神社の祭礼の時に福島の燈籠人形が上演されるようになった。
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福島八幡宮本殿
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福島八幡宮の境内にあった松延甚左衛門についての説明板
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● 「横遣い」を開発した? 田中久重
五穀神社のからくり人形興行を見ながら育った1人の人物がいる。後に佐賀藩の精錬方(科学研究所)の一員となり、晩年には東芝の元となった田中製造所を創立した、からくり儀右衛門こと田中久重だ。
田中久重は久留米五穀神社の近くの通町で生まれ、文政2年(1819年)21才の時に五穀神社でからくり人形の興行を行ない、評判を得た。その後、田中久重はからくり興行で全国を回り、全国的に知られることとなる。五穀神社のからくり人形興行、間接的には福島の燈籠人形が、彼を育てたと言えるのかもしれない。
燈籠人形は「横遣い」という独特の操作技法を使うが、確証はないものの、この技法は田中久重が開発したのではないかと考えられている。
天保3年(1832年)、田中久重は福島八幡宮氏子の依頼で織姫と牽牛の2体のからくり人形を製作しており、同年に彼が五穀神社祭礼で行なった、からくり人形興行を描いた絵図の中に橋を渡る天女のからくり人形の姿がある。このことから燈籠人形の「横遣い」技法は、田中久重の創案になるものだと考えられているようだ(保存会も田中久重説を取っている)。
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田中久重生誕地跡の記念碑。西鉄大牟田線のすぐ横にある
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久留米市の五穀神社。現在はからくり興行などは行なわれていない
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五穀神社境内にある田中久重の銅像
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● 演目について
現在、燈籠人形では「吉野山狐忠信初音之鼓」「薩摩隼人国若丸厳島神社詣」「春景色筑紫潟名島詣」「玉藻之前」の4つの演目が残っており、毎年これを順番に上演していく。なお、保存会が結成された当時には「紅葉狩」の演目が残っていたようだが、現在は演じられていない。
今年(2008年)の演目は「春景色筑紫潟名島詣(はるげしきつくしがたなじまもうで)」。大名主従が筑前国の名島(現在の福岡市東区名島)にある、弁財天を祭った名島神社に参拝。酒杯を重ねているうちに夢うつつとなり、大名の前に弁財天が現れる。弁財天は春の博多湾沿いの美しい景勝地で、眷属の金財童子・御女中と共に舞を披露するという、幻想的で美しい演目となっている。
ローカルな内容であることや、他で見られない演目であることから、あるいはこの燈籠人形のために作られたオリジナル演目かもしれない。
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現在の名島(福岡市東区)。右に名島神社の鳥居、左に帆柱石のある岩礁が見える。奥にあるのは香椎ポートパークの建物群
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名島神社。現在は宗像三女神を御祭神としている
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名島神社のすぐ近くにある宗栄寺名島弁財天社。明治の神仏分離令により、弁財天はこちらに移ってきた
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帆柱石。実は古代の木が化石化したもの
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燈籠人形の幕に描かれた名島の光景。「名島の帆柱石」という奇勝があることで知られていた
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大名主従の前に現れた名島の弁財天
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橋の上で踊る弁財天。背景の幕が落ちて場面が変わる瞬間
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3体のからくり人形の競演。上段左が御女中、右が弁財天、下段中央が金財童子
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見せ場の1つである衣装の早変わり「素抜き」のシーン。下から糸で引っ張って、上に被せられた衣装を引き抜いている
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● 燈籠人形の仕組みについて
ここで冒頭からでてきている「横遣い」について説明しよう。横遣いの人形は基本的には糸操り人形だ。人形はバネ(昔は鯨のヒゲ、戦後からはぜんまい)の力によって一定のポーズを取るようになっている(つまりホームポジションを持っている)。糸を引くと可動部分が動き、糸が緩むとバネの力によって元のポーズに戻ろうとする。これを繰り返すことによって、人形を動かす。
ただ、これだけだとからくり人形としてそれほど珍しいわけではない(鯨のヒゲによるバネの力を利用するからくり人形は多い)。燈籠人形の「横遣い」は、「棒を押すことで人形の糸を引いて操る」ことに独自性がある。
燈籠人形の横遣い人形は、人形の各部を動かす糸が、人形の下部にある9本の左右に動く四角い棒につながっており、その棒を操作用の別の棒で押すことにより、結果として糸を反対側に引っ張り人形を動かす仕組みとなっている。それだけでなく、棒で押すという操作技法(つまり糸などでつながっていない)により、人形を移動させることができるだけでなく、人形の操作を行なう場所を左右で交代させることすらできるのだ。
こんな複雑な方式を採用した理由だが、おそらく「観客を驚かせるため」だろう。橋の下には何もないので、下から操っているのでないことは観客もひと目見ればわかる。しかも人形は橋の上を渡っていくので、横から何かでつながっているわけでもないことが理解できる。
昔は町内の人間以外には決して人形屋台の内部を見せなかったそうなので(それだけでなく以前は人形屋台の中は女人禁制だったそうだ)、どうやって人形を動かしているのかわからずに驚いた観客も多かったことだろう。
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横遣いの弁財天人形
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八女市役所商工観光課のパンフレットより。燈籠人形の内部構造
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人形を動かす棒。左右の腕の「上げ」「寄せ」、首の「前後」「左右」、それに背中の反りの7カ所を操作する。1番外側のギザギザの棒は、体を回転させるためのもの。1番外側にあるほぞ穴にフックをひっかけて、コントロールできるようにする
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体を回転させてもらっているところ
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横遣い人形だが、糸で操る御女中の人形。糸で操るため、中央より向こうへは移動できない
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下から糸で操作する、下遣い人形の金財童子
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横遣い人形を操作する棒。9本の棒で弁財天人形のそれぞれの場所を操作する
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この先端部に弁財天人形が乗る
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横遣い機構の下部。溝に沿って動くが、車輪などはついていない。車輪だと動き過ぎて操れないのだそうだ
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● 燈籠人形の操作
燈籠人形は、謡や世話人も含めて60数名で上演する大掛かりなものだ。今回の演目「春景色筑紫潟名島詣」では、橋の上を渡っていく弁財天の横遣い棒操り人形が1体、橋の上を移動するが途中までしか移動できない御女中の横遣い糸操り人形が1体、それに舞台の下から操作する金財童子の下遣い人形の、3体のからくり人形が登場する(大名主従は動かない「飾り人形」として最初から舞台に置かれている)。
舞の主役である弁財天の人形は、レールのような木の枠(正面から見ると橋の中にある)に沿って左右に移動する。押し過ぎないように綱で引っ張りながら、棒で押して弁財天の人形を踊らせる。
可動箇所は左右の腕、首の前後と左右回転、それに背中を反らせる場所の7カ所で(それに人形自体の左右回転が付く)、それらをうまく組み合わせて踊っているように見せなくてはならない。たとえば、背中の反りと首の前後の動きをうまく同調させることにより、深くお辞儀をしたように見せることが可能だ。
クライマックスの橋渡りは、人形が中央まで来たところで、フックを外すと同時に棒で押し出し、向こう側の操り組がフックで引っ掛けて、人形のコントロール権が向こう側に移動する(これを「送り渡し」という)。橋を戻ってくる時はその逆を行なう。左右の操り手の息が合わないと人形が枠から外れて落ちてしまうので、とにかく操り手のチームワークが必要となる。
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橋渡りの様子を連続写真で。左へと進む弁財天
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左に移ったところで橋を跳ね上げる
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再び戻ってきた橋を渡ろうとする弁財天
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裏では左から右への送り渡しが行なわれている
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無事に送り渡しが成功。正面から見ると、スムーズに移動しているように見える
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左から御女中が登場
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3体そろっての踊り
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【動画】大名の前に現れて踊る弁財天
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【動画】弁財天・御女中・金財童子3体そろっての舞い
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左には御女中がいるので、コントールできるぎりぎりまで中央に寄っている弁財天。しかし、正面から見ている限りはそんなことを全く感じさせない
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舞台裏
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力を合わせて弁財天を押し出していく
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中央付近で弁財天を踊らせる
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弁財天を踊らせている手元
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向こうから橋が伸びてくる
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橋がつながり、送り渡しが行なわれる
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送り渡しが成功し、橋を引き上げる
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完全にコントロールが向こう側に移っている
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また橋が連結し、弁財天が戻ってくる準備
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【動画】送り渡しのシーンその1
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【動画】送り渡しのシーンその2
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御女中と動きを合わせて舞う弁財天
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衣装の早変わり「素抜き」の瞬間を横から
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横遣いのからくり機構を目一杯引いたところ
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下遣い人形を操作する部屋
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囃し方の部屋。謡を習っている人は女性が多いとのこと
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踊る弁財天を後ろから
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燈籠人形は言葉の通り「離れ技」を使うからくり人形で、その発想とそれを可能とした技術には驚かされる。しかし、これだけ高度な技術を持った「八女福島の燈籠人形」があまり全国的に知られていないのは少し残念だ。
またこれだけの技術を残している燈籠人形の上演を、保存会の方々にはこれからもずっと継承していってほしい。
■URL
八女観光協会「八女燈籠人形屋台」
http://www.yamekankou.com/toku_tourouningyo.html
( 大林憲司 )
2008/10/09 00:38
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