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大阪市立科学館、「学天則」を動態復元
~80年前の「人造人間」が復活


「学天則」
 4月24日、大阪市立科学館は復元作業を行なってきた「学天則(がくてんそく)」を報道陣に公開した。「學天則」は1928年、今から80年前に製作された自動人形(以下オリジナルは旧字体で表記する)。「東洋初のロボット」とも言われている。製作当時は「人造人間」と呼ばれていた。

 黄金色の「学天則」は高さ3.2m。オリジナル同様、左手には霊感灯(インスピレーションライト)を持ち、右手には鏑矢のペンを持っている。顔はゴムでできており、圧縮空気を使って目、まぶた、ほほ、口、首、両腕、胸が動く。「學天則」の前に設置された「記録台」のレリーフも現存するオリジナルの写真を参考に再現されている。顔の表情の動きやクビの動きは驚くほどなめらかだ。

 復元モデルの制御にはコンピュータとエアコンプレッサーが用いられているが、オリジナルが使っていたドラム式制御がわかる機構模型も合わせて製作された。復元費用は2,000万円。


復元された「学天則」 上半身。顔は人種差別を超越するため世界の各人種の特徴を混ぜあわせて造られた 左手には「霊感灯」を持つ。水晶の分光、人間の霊感を意味し「学天則」が霊感を感じたときに光る

右手には鏑矢のペン。始まりと人間の創造力を意味する 見下ろしたところ。文字は実際に書いているわけではない 記録台のレリーフ。中心は太陽の中の八咫烏。周囲の生物や植物は生態系の調和、繁栄、平和等を祈るシンボル

【動画】表情 【動画】頬や唇の動き 【動画】眼球の動き

【動画】ウインクも可能だが展示のときにはウインクはしない予定 【動画】クビも可動する 後ろから見たところ

機構模型 【動画】オルゴールのようにドラムが回転しゴム管を押さえて空圧を調整する 現代版「学天則」の制御はコンピュータで行なわれる

復元中の学天則 後ろから 制作中の頭部の一部。顔面はゴムで作られている

頭部制作途中の様子 頭部の中身は空圧シリンダなどがギッシリ

オリジナルの「學天則」と、込められた西村真琴の思想

 「学天則」と聞いて、映画「帝都物語」で鬼と闘っていた姿を思い出す読者もいるかもしれない。オリジナルの「學天則」は1928年(昭和3年)、京都で開かれた「昭和天皇御大礼記念博覧会」に大阪毎日新聞社から出品された。製作者は大阪毎日新聞の論説員学芸部顧問だった西村真琴氏(1883-1956)である。

 時代背景をご紹介しておくと、カレル・チャペックが戯曲「R・U・R」のなかで労働用の人造人間に対する言葉として「ロボット」を造語したのが1920年なので、その8年後のことである。映画「メトロポリス」公開が1927年、SF雑誌「アメージングストーリー」が創刊されたのは1926年だ。なお1929年には世界恐慌が起き、世界全体が暗い時代に突入する。その直前の時代だとも言える。


オリジナルの「學天則」。写真提供は西村真琴の孫である松尾宏氏から 記録台がボロボロになっている「學天則」。顔も異なる 1931年に撮影されたとおぼしき「學天則」の姿

 「學天則」には西村真琴の思想が全面に反映されている。彼の思想の結晶といってもいいような自動人形だ。西村真琴については『日本ロボット創世記』(井上晴樹/NTT出版)、『大東亜科學綺譚』(荒俣宏/筑摩書房)、『奇想科学の冒険』(長山靖生/平凡社)等に詳しい。また西村本人が執筆して1930年に刊行された『大地のはらわた』(刀江書院)にも人造人間に関する記述がある。ただし、それぞれをつき合わせると記述が食い違っている点も少なくない。そもそも現存する資料が限られており、なかなか事実を確認できない点も多いという。

 取りあえず、上記の書籍や、今回復元作業を行なった大阪市立科学館の長谷川能三氏から提供された資料を参考に、いま伝えられている西村真琴の生涯と思想について簡単にご紹介する。


西村真琴(1883-1956)
 1883年、長野県松本市に生まれた西村真琴は、広島高等師範学校博物学科を卒業後、小学校の代用教員を経て小学校の校長となる。西村は中学に入学したころに父親を亡くしており、学者志向だった西村が教員をつとめた背景には経済的理由もあったとされる。だが生物学への興味は抑えがたく、研究を続けた。1915年には渡米しコロンビア大学院に入学、1920年にはPh.Dを取る。

 1921年、北海道帝国大学水産専門部教授になる。その後、阿寒湖のマリモの研究で東大理学部から理学博士号を授与されている。彼は狭い意味での植物学者というよりは、いわゆる博物学者に近い人物であったようだ。また、物事に囚われない自由奔放な性格で、留学や渡航なども含め、何事も思い立ったらすぐに実行するタイプだったらしい。

 当時の生物学者にとってはスケッチは重要なスキルの一つだったが、西村にも絵心があった。しかも個展を開いてその売上金をアイヌ貧民救済のために全額寄付したという逸話もある。当時から彼には生物学だけではなく、社会そのものへの高い関心があったようだ。

 1927年、大学教授だった西村は、招きに応じて大阪毎日新聞の論説委員に転身する。きっかけは、執筆した科学随筆「五十年後の太平洋」が大阪毎日新聞のコンテストで佳作を獲得したことだった。既に植物学だけではなく、広く生物学、生命関連全般へと興味が拡大していた彼は、それで大学をやめてしまう。その背景には単に研究をするのではなく、生命の大切さを人々に伝えたいという強い気持ちがあったらしい。あるいは北海道大学での生活が肌に合わなかったのかもしれない。このあと彼は科学の啓蒙を目指して新聞記事を書くだけではなく、日本で初めての科学小説、つまりSF作家を目指して執筆活動を行なっていく。


「學天則」製作中の西村真琴 巨大な手のひらを製作中の西村真琴

 「學天則」を造ったのは、入社した翌年のことだ。大阪市立科学館の長谷川氏は、2年半かけて今回の復元を行なった経験も踏まえて「最初から『學天則』を作ることが目的で、大阪に移り住んだのではないか」と推測する。あくまで推測ではあるが、「学天則」が当時の金額でどの程度の費用や手間を必要としたかは分からないが、運用においてもかなり人力が使われていたというし、相当な金額がかかったことは間違いない。伝えられる西村の性格も考え合わせると、個人で製作可能な金額であれば一人で作ってしまったのではないか、という。

 たしかにおそらく当時としてはまったく新機軸だったろうものを一年程度で企画から設計、実稼動まで持っていくのは非常に困難だったろうと考えられる。入社以前から何かしらの思惑や企画が西村ならびに大阪毎日新聞にあって動いていただろうことは妥当に思われる。

 では「學天則」とはどんなロボットだったのか。彼が造ろうとしたのは、機械的なロボットではなく、人工的な生物の再現だった。動物の筋肉や血管を再現しようとしてゴム管と空気を用いた駆動を採用し、スムーズに動かすことを目指した。反射神経の働きなども研究したという。できあがった學天則は、ヨーロッパのオートマタに近い仕組みのロボットだった。あることは文字を書き、霊感灯を光らせ、ほほえむだけ。それは実用、労働力の代替を目指していたロボットとはまったく違ったものだった。


西村真琴の著書『大地のはらわた』
 西村は著書『大地のはらわた』のなかで以下のように書いている(旧仮名と漢字は現代の表記に修正した)。

 この生と死の対照の中にこの度生まれたガクテンソクは動いているがこれは果たして何を意味するのか。ここにはさらに作者は理想をこめた。現在西洋で作り出すもののように仕事をさせたりカード遊びの仲間入りをさせたりするばかりでは、カレルチャペックの戯曲ではないが、ついには人造人間のために人間が征服されるような世の中が現じて来ることは想像するに難くない。

(中略)

 奴隷的人造人間のみを作って喜ぶという態度は、どうしても天地の傑作である人間を真似作る態度として淋しくはないか。



 「學天則」とは、「天則」に学ぶ、という意味だ。天則とは「自然のことわり」のことだ。西村は特に共存共栄や、自然界の調和をイメージしていた。

 『奇想科学の冒険』の著者・長山は、「學天則」は理想の人間、聖君子のロボットだったと述べている。つまり「學天則」は――あるいは日本人が最初に造ったロボットは――「鉄腕アトム」よりもずっと前から、心優しい存在、人間以上に人間らしい存在としてイメージされていたのだ。

 さらに西村は生物の研究と社会事業への取り組みを通じて、独特の教育哲学を持っていた。その哲学をもって、後には保育事業に力を注ぐようになる。彼の考える保育とは、親から子どもへの一方通行ではなく、相互扶助的に互いが互いを慈しみ成長させる原理をベースにしていた。また、『奇想科学の冒険』によれば彼は当時から先進国で少子化が進むことに気づいており、その原因を考察し、晩婚化と非婚化だと述べている。

 彼の生涯がどんなものであったのか、後世の我々は想像するしかない。だが、自然、人間、社会を愛し、敬意を払い、慈しんでいた人物であったのだろう。「學天則」はその思想的象徴の一つだったのだ。

 復元にあたった長谷川氏は、復元された「学天則」が子ども達に、からくりやものづくりに対する興味を喚起することを期待している。また「西村真琴の思想を伝える手助けをしたかったのかもしれません」と本誌に語った。


西村真琴本人による「学天則」の解説記事 雑誌「科学知識」に掲載されたもの 大阪市立科学館学芸課 学芸員 長谷川能三氏

「学天則」のおおらかな微笑みが子ども達を迎える
 なお、今回「学天則」を復元した大阪市立科学館は、日本初の科学館でありプラネタリウム館であった大阪市立電気科学館を前身とする科学館で、テーマは「宇宙とエネルギー」。年間あたりの延べ利用人数は70万人。大阪市市制100周年記念事業の一つとして計画され、関西電力株式会社からの寄贈申し出により1989年10月に開館した。7月18日にリニューアルオープンを予定しているため、5月7日~7月17日は展示場の公開を休止する。

 前身の電気科学館では無線操縦ロボット「スター君」、じゃんけんをするテレビカメラ付きロボット「ライト君」などが目玉の一つとして展示されていた。いっぽう大阪市立科学館ではこれまでにソニーのAIBOや、ATR知能ロボティクス研究所の実験に協力してロボビーを展示したことはあったが、常設のロボット展示は今回が初めてとなる。

 「学天則」は展示リニューアルオープンの目玉として、7月18日13時から公開される予定だ。同館入り口のウェルカムエントランスにて、子供たちを科学の世界へといざなう役割を果たす。

・大阪市立科学館
・所在地 大阪市北区中之島4丁目2番1号
・開館時間 9:30~16:45
【料金】
・展示場
 大人400円 大学生・高校生300円 中学生以下無料
・プラネタリウム・オムニマックス映画・全天周CGムービー
 大人600円 大学生・高校生450円 中学生以下300円
・休館日 毎週月曜日


 最後に、もう一度『大地のはらわた』のなかの一節を引用してご紹介する(仮名・漢字は修正)。現在のロボット工学の世界においても通じる言葉だと思う。

 人造人間! 考えただけでも革命的な気持ちに満たされてしまう。もちろん人造人間時代の前に人造生物時代が控えている。この時代を飛んで企てられつつある人造人間は所詮は機械人形ないしは電気人形の範囲を脱し得ない。それにしても、この空想の中から思いがけない価値を見出すことが出来ないとは考えられない。知識が意識として頭の中にぐるぐるめぐりをしている間は倉庫の図書をみたように少しも人生に接触し得ない。知識は指の先から入り、指の先から出る。そこに妙味を発揮することを忘れてはならない。

(中略)

 我々が計画する人造人間においてもやはり、最初は極く簡単なものから……、しかし一番大切な事柄は、この簡単なものが次第に複雑化してゆき得るだけの資格をもった発達性ある簡単でなければならぬということである。


URL
  大阪市立科学館
  http://www.sci-museum.jp/


( 森山和道 )
2008/04/25 16:33

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