12月4日、大阪の千里阪急ホテルにて「第3回 大阪大学“ゆらぎ”プロジェクトシンポジウム 阪大からイノベーション“生体ゆらぎに学ぶ知的人工物と情報システム”」が開催された。
はじめに大阪大学総長の鷲田清一氏が「ゆらぎプロジェクトは生体特有の柔軟、融通無碍な仕組みを科学技術に取り込もうという試みで大学あげての研究プロジェクト。ゆらぎは予測のできないランダムな動き、偏差のことをいうのだろう。ゆらぎを活かして自己修復していく仕組みとして生体や人間を考えるのであれば、不完全で間違うことのある我々を勇気付けてくれるものだ。ゆらぎをめぐる先端融合研究が人類を豊かにしてくれるように大阪大学も支援していく」と挨拶した。
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大阪大学総長 鷲田清一氏
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ゆらぎプロジェクトの構想
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大阪大学 大学院生命機能研究科 教授 柳田敏雄氏
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続けて大阪大学 大学院生命機能研究科 柳田敏雄 教授が、プロジェクトの全体概要を述べた。
生体と人工機械の違いは何よりもエネルギー消費にある。たとえば人間の脳は1ワット程度しか使わないが、IBMのスパコン「Blue Gene」は5万ワット使っていた。しかも人工機械には発熱がつきものである。使うエネルギーの多寡が人工機械と生体の本質的な違いだと考えられる。
生体を作る分子機械は、熱雑音と大差ない程度のエネルギーで駆動されている。人工機械がエネルギーを注ぎ込む理由はノイズから逃れるためである。生物デバイスは熱雑音から逃れることはできないので、素子の性能を単純比較すると機械よりもはるかに劣る。しかしながら、人工機械とは基本的に異なる生物の原理を活かせれば、これまでと違った工学産物が作れる。
柳田氏らは分子機械の仕組みを探るために1分子ナノ計測技術を開発し、分子モーターの動きを調べた。筋肉1cmのなかには20ナノメートルの分子モーターが、1兆の100万倍個入っている。研究の結果、生体は熱ノイズを利用して、ブラウン運動、すなわち熱ゆらぎで動いていることが分かった。
ブラウン運動は「ランジュバン方程式」で記述できる。生物は化学エネルギーを使ってランダムなブラウン運動にバイアスをかけ、1方向のエネルギーを取り出している。バイアスは内外の状態、環境の状態を含んでいる。分子モーターの場合は、ミオシン分子のひずみセンサーを使っているらしい。
ゆらぎは細胞レベルでも利用されているらしい。たとえば遺伝子発現も熱ゆらぎによって起きることがある。環境変化に対して柔軟に対応するために、生物はゆらぎを使っているようだ。
ゆらぎプロジェクトでは、ゆらぎを利用するコンセプトについて、ランジュバン方程式をベースにした「ゆらぎ方程式」で表現し、生物のような柔軟なものを工学的に実現しようとしている。
これまでのゆらぎ研究との違いは、外界の環境が変化するなど制御対象が不明瞭な場合でも、ある程度対応できることだという。目標が明瞭な場合は、シリコンを使った素子で十分だが、目標設定が不明確であったり、変化に応じて目標が変化する場合は、生体分子素子のほうが向いていることがあるという。
まず、ゆらぎの式を理解しようという段階から始まったプロジェクトは、現在は各分野でそれぞれ理解できる言葉に置き換えて、企業との連携を密にしつつ、ゆらぎのコンセプトで働くセンサー、アクチュエーター、プロセッサの開発を進めている。各分野を融合するセンター拠点も2008年1月から発足予定だ。
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生体と人工機械では使うエネルギーが桁違い
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筋肉では膨大な数の分子モーターが働いている
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柳田氏らは分子モーターがブラウン運動を利用して運動していることを明らかにした
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生物と人工機械の根本的違いは熱ゆらぎの積極的利用にある
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ブラウン運動を表すランジュバン方程式
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ゆらぎ方程式
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これまでの研究との比較
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工学への展開
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拠点化構想の全体像
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このあと、“ゆらぎ”プロジェクトの研究報告が行なわれた。各領域代表は下記のとおり。
・生命領域 柳田敏雄 教授(大阪大学 大学院生命機能研究科)
・ナノ材料領域 河原敏男 特任教授(大阪大学 産業科学研究所)
・情報システム領域 村田正幸 教授(大阪大学 大学院情報科学研究科)
・ロボット領域 石黒浩 教授(大阪大学 大学院工学研究科)
● 村田製作所と人工筋肉の開発を目指す:生命領域
生命領域の役割はまず生命現象を解明し、その成果を他の領域に利用してもらうことだ。生物は複雑すぎて難しい制御対象も、ゆらぎを利用してうまく処理しているらしい。しかしながら多自由度の系に単にゆらぎを入れても、うまくいくわけはない。生物は、ゆらぎを利用するための構造を持ち、あいまいな状況をセンシングし、それを動きの制御に持っていくシステムを持っているようだ。
なかでも、分子モーターの仕組みはかなり分かってきたという。それはアクチンからつかず離れずの傾斜ポテンシャルであり、状況を感知するひずみセンサーが重要な役割を果たしているという。しかも複数を束ねると自発的に振動するような動きも見られた。現在は村田製作所とともに人工筋肉の開発を目指しているそうだ。企業名は今回の講演で初めて明らかにされた。
また、多義図形の研究などから、脳の働きなどもゆらぎを使って調べているという。
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熱ゆらぎを利用するポテンシャル構造と状況感知
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ゆらぎを利用した人工筋肉の開発を目指す
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多義図形から知覚やひらめきの脳研究も
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● 脳型情報処理や五感センサー、運動神経回路網開発を目指す:ナノ領域
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ナノ材料領域代表 大阪大学 産業科学研究所 河原敏男 特任教授
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ナノ材料領域では、複数の材料の持つポテンシャルを利用して、アトラクタを持つ制御構造を表現しようとしている。具体的には確率共鳴モデルを使ってアトラクタ選択モデルを作り、脳型情報処理メモリ、ゆらぎ互換センサー、運動神経回路網を作ろうとしている。生物は確率共鳴を使って、ノイズに埋もれた信号からパルス上に信号を取り出している。それを電子回路で実現した。
グループでは複数のゆらぎ基本回路からなるリング型結合にによってゆらぎ発信機を作った。ゆらぎを使った発振器では、リング間を抑制結合によって結合することで、アトラクタ間をスイッチングする回路ができた。ゆらぎを用いたスイッチング素子は脳型情報処理装置になるのではにないかという。
またこれは、ソフトウェアCPGではなく、リング発信器を用いたハードウェアCPGによるロボット制御に応用できるのではないかと考え、現在研究を進めていく予定だという。最終的にはアトラクタ選択素子の形で集積化し、ネットワーク処理装置やロボットへの実装を目指す。ゆらぎ材料の一つには、室温スピングラス材料をねらっている。
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脳型情報処理や五感センサー、運動神経回路網開発を目指す
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確率共鳴を用いたニューロンパルス型ゆらぎの基本回路
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ゆらぎ基本回路によるアトラクタ
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CPGにも応用する
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室温動作スピングラス材料を利用
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今後10年の研究計画
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● より堅牢な情報ネットワークへ:情報システム領域
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情報システム領域代表 大阪大学 大学院情報科学研究科 村田正幸 教授
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情報システム領域は、ノイズによるシステム駆動をベースとし新しい情報ネットワークアーキテクチャの実現を目指している。計画に基づく従来のネットワーク制御は、想定してない場合に弱い。それに対して、「アトラクター選択に基づくマルチパスルーティング」という手法では、通信状況を環境情報として取り込んでやり、送信ノードが独自の判断で最適なパスを選択するために、リアルタイム性・スケーラビリティがあり、なおかつ局所解に陥らないために確率的に経路を選び、ノイズを付加するというアプローチをとっている。最適解を選ぶことを目的とするわけではないため、故障が起きてもすぐに対応が可能になるという。
同領域ではセンサーネットワークを用いたアドホックネットワークにおける適応にこの仕組みを応用しており、良好な結果が得られている。今後は、それを階層的ネットワークアーキテクチャを作る足がかりにしたいと考えているという。そのほか、動物の縞模様ができる仕組みである反応拡散モデルに基づく情報伝達機構の研究をベースとして、街中見守りシステムのカメラセンサーネットワーク制御を松下電器株式会社との協働研究で行なっており、今年度中にデモシステムを構築予定だ。
今後はナノ材料グループとも協働し、いまソフトウェアで計算している部分を、ゆらぎ素子を用いたハードウェアに置き換えることを目指す。
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アトラクター選択によるネットワーク制御。平成19年度中に実システムを構築予定
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アトラクター選択による階層化制御を実現
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松下電器とカメラセンサネットワーク技術を共同研究中
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ナノ材料のゆらぎ素子を使ったゆらぎアプリケーション実現を目指す
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● ノイズを積極的に利用して多自由度制御を目指す:ロボット領域
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ロボット領域代表 大阪大学 大学院工学研究科 石黒浩 教授
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ロボット領域では、従来は取り除くべきだと考えていたノイズや外乱をむしろ、あらかじめ埋め込まれた「システムの不確定性」として捉えた制御を考えている。ゆらぎを用いた制御はアクチュエータを動かすローレベルから、上位レベルまであらゆるところで用いられる。そしてより人間あるいは社会、そして生体に適応するシステムを実現することが目標である。
まずはロボットと生物の接点を探る人工生物を作ろうという試みのために、コオロギの気流感覚毛によるセンサーを実現した。センサーを実現できればロボット構造そのものも実現できる。環境のなかにはもともとノイズが沢山ある。エサが遠いときにはランダムに動く。いったんえさに近づくと、たとえば前に進むといった合目的的な機能を発揮するようなロボットだ。これまでのロボットでは捨てていたノイズ部分を使うことで、ロバストなロボットが実現できるという。
またこれからのロボットは、さらに複雑になっていくと考えられる。なかには人体に似せる方向もあるだろう。しかしながら人体は非常に複雑で、制御方法は分からない。これまでは制御できる単純なメカを作ってそれを操ってきたわけだが、今後は複雑な情報システムを制御しなければならなくなる。そのための方法を探ることも研究目標としている。
また三菱重工と共同で、ハルバッハ配列という配列で磁石を並べることで、従来よりも大きなトルクを出せる直動アクチュエーターを作り、より人間に近い運動性能の高いロボットの実現を目指す。
他にも、ロボットがたくさん使われる時代に向けて、たくさんのロボットが、おのおの自分が何をするべきかを自律判断する仕組みを細胞分化にならって実現しようしているほか、CPGを使うことで人間の自然な動きの再現をめざしているという。
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マッキベン型人工筋肉を用いた人間の筋骨格系を模したロボット
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背面の肩胛骨部分
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腕の付け根はボールジョイント
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研究を行なっている大阪大学 大学院工学研究科 知能・機能創成工学専攻 知能ロボット学講座 助教の中村泰氏
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多自由度を制御するための方法論を探索するための研究の一環
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【動画】動作の様子。乳児のU字発達が再現されるのではないかと考えているという
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【動画】wakamaruも使われている。当日は動作デモも
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環境の変化に応じて自律的にロボットが機能分化する研究の一環
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直動電動アクチュエータの開発
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三菱重工と共同でゆらぎを利用した人間らしさの追求
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ニプロと共同で医療システムへの応用も目指す
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作家 瀬名秀明氏
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続けて「“ゆらぎ”プロジェクトへの期待~生命・情報・ロボットの融合~」と題してSF作家の瀬名秀明氏が講演した。
瀬名氏はまず「人は“ゆらぎ”に惹かれる」と述べた。瀬名氏自身の小説もそこにフィットしているという。ゆらぎプロジェクトに対しては「“ゆらぎ”が生命の本質や定義を作ってもらえる仕事になってもらえるとありがたい」と語った。
我々は生命の中から、いくらでも恣意的に学ぶことができる。だがその取り出したものが人間が恣意的に取り出した「ゆらぎ」に過ぎないのか、生命のなかにある本質そのものなのか、それはまた難しい問題だ。
これまで、ロボットに対しては多くの小説が描かれてきた。しかしながらロボットを題材にした小説のテーマは、アイデンティティと生命の「認識」に関するものが多く、アイデンティティあるいは生命と機械のゆらぎそのものを対象にしたものは少ない。
ゆらぎプロジェクトは「ゆらぎ方程式」を持ってくることで、生命を説明しようとしている。いっぽう、作家は、「生命と非生命の認識のゆらぎ」ではなく、「生命と非生命のゆらぎ」そのものをきちんと描くことができるのかもしれないと感じているという。
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ゆらぎプロジェクトはどれだけ新たなビジョン、豊かなイノベーションを生み出せるか
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ゆらぎは新たな生命観を生み出すか
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生命と非生命のゆらぎ、ゆらぎは生命に普遍的なのか
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このあと、ソニーコンピュータサイエンス研究所 茂木健一郎氏によるビデオ講演「“ゆらぎ”プロジェクトへの期待~未来に向けて~」、北海道大学電子科学研究所津田一郎教授による「“ゆらぎ”プロジェクトへの期待~複雑系システムの観点から~」と題したカオスの意義に関する講演のあと、パネルディスカッションが行なわれた。
パネリストはSF作家 瀬名秀明氏、北海道大学電子科学研究所教授の津田一郎氏、大阪大学理事・副学長の西尾章治郎氏、大阪大学大学院生命機能研究科教授の柳田敏雄氏の4名。コーディネーターは大阪大学 産業科学研究所所長の川合知二教授。
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作家・瀬名秀明氏
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北海道大学電子科学研究所教授の津田一郎氏
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大阪大学理事・副学長の西尾章治郎氏
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司会をつとめた大阪大学 産業科学研究所所長 川合知二 教授
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テーマは、
1) 生体ゆらぎの研究はいままでの研究となにが異なるのか?
2) ゆらぎの概念にのっとって、生命と情報やロボットが融合することは、どのような価値を生み出すか?
3) 近未来も視野に入れた“ゆらぎプロジェクト”における今後の展開と期待について。
第一のテーマに関しては、まず津田教授が「ゆらぎ方程式はさまざまな階層の共通不変項。それを使って階層をまたいで統一的に見ることができれば技術革新のトリガーになる」、瀬名氏が「今日の話は、ゆらぎ方程式を共有した上でそれぞれの分野の研究者は何を見るかという話だった。それが興味深かった」と述べた。阪大の柳田教授は「きちっとしないとサイエンスにならないが、いい加減なほうが面白い。生物がさらされている環境ではいつなにが起こるかわからず、目標そのものが未経験であやしい。それでも生物はきちっと制御されている。そういうところに対応できるコンセプトにしたい」と語った。
第2のテーマに関しては、瀬名氏が「我々が認識していなかった階層を作り出して、それをベースにイノベーションできることがあるのか」と質問を投げかけて議論が始まった。柳田教授は「現状の生物もおそらくはたくさんの可能性のなかの一つ。いまの生物ととも人工機械とも違うものができるかもしれない」と述べた。川合教授、津田教授もこれに同意した。
西尾氏は、これまでの情報とバイオの連携というと、いわゆるDNAの解析を中心とした、バイオインフォマティクスが多かったが、もっとよりウェットな研究と連携を組むことで新しい価値が生まれていると確信している、と語った。「現実の社会は本当に複雑で生き延びることは難しい。しかしながら生命は数十億年生き延びている。これからの困難を解決する鍵はそこにあると思っている」という。
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シンポジウムの様子。聴衆は200名程度
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第3テーマ、展開と期待については、柳田教授は「一つの式でこれだけたくさんの分野の人が集まって議論できる。最初はどうしようと思ったが、具体的なことが出てきている。情報のエナジティックスができるのではないか。ゆらぎでかなり技術革新できるのではないかと確信しています」と述べた。
津田教授は「情報系やロボティクスみたいな社会と関わる分野で、生物ゆらぎが活かされてくると、生活のありようは確実に変わってくる。エナジティックス、エネルギーの問題は非常に重要。生物は非常に少ないエネルギーでやっている。たとえば寝ているよう状態でも情報処理や保持をする仕組みがあれば、エネルギーの観点からさらに先にいけるのではないか」と述べた。
西尾氏は「20世紀は物理帝国だった。21世紀はバイオの時代で、融合の時代。ただ融合といってもみんなが根無し草になってしまうといけない、お互いが立脚点を持って交差していくことが重要。大阪大学は既にサクセスストーリーを持っていて、異分野融合は得意。ゆらぎ方程式という原理で4つの領域がまとまっているというのも世界に例がないのではないか。経済のモデルとしてゆらぎのモデルを使うことも検討中だ。立ち上げ準備中のゆらぎセンターは文系も含め多様な意味を込めたセンターとして学外的にもオーソライズしていく。今日の参加者の皆さんも、何かが起こりそうだという息吹を感じていただけたと思う」とまとめた。
■URL
“ゆらぎ”プロジェクト
http://www.yuragi.osaka-u.ac.jp/
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( 森山和道 )
2007/12/14 00:00
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