● カレーが食べたい! 本当にお腹が空く「香る料理ゲーム」
5月12日、東京・江東区の日本科学未来館において、「嗅覚ディスプレイを用いた香る料理ゲーム-香りと映像の不思議な体験-」をテーマにした科学イベントが開催された。講師は、東京工業大学理工学研究科の中本高道准教授(工学博士)【写真1】【写真2】。
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【写真1】日本科学未来館で開催されたイベント「嗅覚ディスプレイを用いた香る料理ゲーム-香りと映像の不思議な体験-」の模様
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【写真2】東京工業大学理工学研究科 中本高道准教授(工学博士)。20年前から匂いセンサについて研究を続けてきた
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中本准教授は、匂いセンサ用素子の製作、匂い認識LSIの設計、匂いの記録再生システム、嗅覚ディスプレイおよび映像と香りを組み合わせたコンテンツなどを研究している。今回のイベントでは、先進的な嗅覚研究の一貫として、映像に合わせて香りを発生させて提示する「嗅覚ディスプレイ」を用いて、人が本当の香りを感じられるインタラクティブな料理ゲームの体験デモを実施した【写真3】。
この香る料理ゲームは、主にノートパソコン、嗅覚ディスプレイ(匂い調合装置)、マイク付きヘッドホンなどで構成される【写真4】【写真5】。ゲームのトップ画面は【写真6】のようになっている。「LET'T COOK CURRY!」というタイトル名のとおり、画面上に配置された8種類の具材(バター、ニンニク、たまねぎ、肉、カレーのルー、スパイスなど8種のほか、無臭の水)のアイコンを1つずつドラッグしながらフライパン上に置くと、パソコンの画面でアニメーションが動き、具材が炒められたり、煮込まれたりしながら、「ジュージュー」と音を立てて調理されていく【動画1】。
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【写真3】香る料理ゲームを体験しているところ。映像や音に加えて、リアルな匂いが鼻元に漂ってくるインタラクティブなゲーム
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【写真4】香る料理ゲームのシステム構成。ノートパソコン、匂いの調合装置、マイク付きヘッドホンなどで構成
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【写真5】香る料理ゲームで利用されている8成分嗅覚ディスプレイの仕組み。カレーの具材となるサンプルの匂いが瓶に詰め込まれており、それを電磁弁で開閉して空気と一緒に送る
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【写真6】ゲームのトップ。画面中央にあるフライパンの上にカレーの具材のアイコンをドラッグすると、その具材に対応した匂いが出てくる
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【動画1】ゲームの様子。たまねぎを炒めてから、次のステージに進んで、にんじんを調理しているところ。ニンニクと肉は具材の量を3段階に調整できる。もちろん、それに伴って匂いの強さも変化する
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それぞれの匂いはヘッドフォンのマイク部分に設置したアダプタから発生する【写真7】。調理時には、画面からプレイヤーの好みによって具材(にんにくと肉)の量も3段階に調整できるようになっており、その量に対応して匂いの強さ(濃度)も増す。各素材を加えていくと、美味しそうな具の匂いがプレイヤーの鼻元に漂い、だんだんとカレーの匂いに近づいていく。そして、最後にスパイスを選んだところでカレーが完成する。
こういった嗅覚領域の研究は、まだまだ発展途上にあるものの、単一の匂いを発生させるような装置はあった。しかし、この研究の斬新なところは、多種の香りを任意の比率で調合できる点にある。この研究では、中本准教授が発明した匂い調合装置を利用している【写真8】。現在のところ32成分の匂いを調合できるが、このゲームで使われている装置では8成分の匂いを調合するという。
匂いの調合機は、「要素臭」と呼ばれるサンプルの匂いが入った瓶と空瓶をペアにして用いるため、実際には16個の瓶を使用している(1世代前の8成分調合装置の場合。最新版の32成分の装置では、空瓶を1つに集約している)【写真9】。それらを10msという高速開閉が可能な電磁弁でオンオフしながら、空気とともに送り出す仕組み。
電磁弁の開閉はPWMライクな方式でスイッチングし、その開閉頻度によって匂い濃度を1%から100%までコントロールできる。性能的にも匂い濃度の線形性(リニアリテイ)と均一性が保たれており、一定の濃度に達するまでの応答時間も数秒以内と高速だ。なお【写真5】の構成図にあるバイパスの役割は、サンプル瓶の中を常に流れを止めずに流すことで、サンプル瓶内の濃度変動を抑えることが目的。電磁弁のスイッチング変動は配管の容量で吸収させるという。
ゲーム開発に利用したソフトウェアは、サウンドやビジュアルなど、アート系の研究や作品で用いられる「MAX/MSP」が使われており、映像と匂い調合機の両者を同期させて制御している。ただし、MAX/MSPでは、調合機の入出力を直接制御するインターフェイスがないため、MIDI信号によって制御する。そこで、アルテラのFPGA「EP1C12Q240C8」などの電子デバイスを搭載した自作ボードで、いったんMIDI信号のレベルやボーレート(通信速度)を変換して、調合機を制御する工夫がなされている【写真10】。
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【写真7】匂いが拡散しないように、ヘッドフォンのマイク部分に設置したアダプタ(写真右側)。ここから匂いが出てくる仕組み
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【写真8】匂い調合機の外観。多種の香りを任意の比率で調合できる。現在、32成分の匂いを調合できるが、このゲームで使われている成分は8種類
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【写真9】匂い調合機の内部。ここではサンプルの匂いが入った瓶と空瓶をペアにして合計16個の瓶を使用している。これらを電磁弁で開閉しながら、空気とともに送り出す仕組み
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【写真10】匂い調合機の電磁弁を制御する入出力信号を変換するためのボード。ボードに搭載されたアルテラのFPGAで、MIDI信号のレベルやボーレートなどを変換
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さて、このような研究を基に開発された香る料理ゲームだが、実際にゲームを真近で見ていると、美味しそうなカレーの匂いが徐々に漂いはじめ、人に与える匂いのインパクトが予想以上に大きいことがよくわかった。
ゲームに参加した子供は、「本物の匂いがして、とても面白いゲームだった」と目を輝かせながら感想を語った。また、「今夜の夕食はカレーで決まり」と語りかける親子の光景もあり、大変ほほえましかった。もちろん筆者も取材帰りに、たまらずカレー屋に飛び込んで、インドカリーを食べてしまったぐらいだ。
視覚、音に加え、嗅覚という新たなファクターが加わることで、バーチャルリアリティが「本当のリアリティ」として想起されることを、心理的に実感できるゲームであった。
● 匂いと映像を同時に記録・再生するユニークな発想
本イベントでは、料理ゲームの体験だけでなく、中本准教授らがこれまで研究してきたさまざまな装置や実験の紹介もなされた。たとえば、匂いを映画やアニメーションと組み合わせたり、視覚と嗅覚の情報を同時に記録して再生する装置などだ。
匂いを組み合わせたアニメーションは、東京芸術大学との共同研究で開発された「TOGETHER」という作品【写真11】。子供と犬の散歩について描いたもので、子供が不思議な生物たちと出会い、世界を一周して再び自分の家に戻ってくるというストーリーだ。9つのシナリオに合わせた匂い(果物、肉、機械油など)が、音と映像とともに体験できる。このアニメでは、実際に一般鑑賞者のアンケートも取ったそうだ。匂いが映像メディアと共に再現されることによって、臨場感がよりいっそう高まることが分かった。
また、匂いを出力する具体的な方法についても、これまでの研究による調査から判明した点があるという。「人に2つの匂いを感じさせる際には、単にバックグラウンドとなる匂いに新しい匂いを重ねても認識することができない」(中本准教授)。そのため、バックグラウンドにある匂いを停止して、新しい匂いを一時的に発生させるというように、時系列での制御が必要となる。また、類似した匂いの場合には、匂いの切り替わりが判別できないこともあり、ある程度異なる匂いを間に挟んで認識させる工夫も必要だという。これ以外にも、匂いの強さを認識してもらうために、匂いの大きな変化を作りだすそうだ【写真12】【写真13】。
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【写真11】東京芸術大学との共同研究で開発した、匂いを組み合わせたアニメーション作品「TOGETHER」。子供と犬の散歩について描いたもので、9つのシナリオに合わせた匂いを体験できる
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【写真12】人に2つの匂いを感じさせるには、先に流していたバックグラウンドの匂いを止めて、新しい匂いを一時的に発生させる
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【写真13】類似した匂いの場合には、ある程度異なる匂いを間に挟んで認識させる工夫も必要。図では花の匂いの間に土の匂いを挟んでいる
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本イベントで説明された、もう1つの視嗅覚情報の記録再生装置は、記録部と再生部から構成されている【写真14】。記録部では、デジタルビデオカメラによって視覚情報を収集。匂いに関しては、複数の匂いセンサを使用して、匂いの強さを検出してから、匂いの種類を記録する。
匂いセンサには、水晶振動子ガスセンサが用いられている【写真15】。これは、感応膜が覆われた水晶振動子で、匂いによって出力する発振周波数が変化する。そこで前述のように複数のセンサをまとめたアレイに対象臭を通し、そのときの各センサの応答パターンを調べて、対象臭を識別する【写真16】。識別結果は正解率が約97%で、ほぼ正確に判別することができたという【写真17】【写真18】。
一方、再生部には前述の「匂い調合装置」を使用。匂いセンサで認識したセンサ応答パターンと比較しながら、要素臭の混合比の設定信号をフィードバックし、電磁弁を開閉によって調合する匂いの濃度を変更していく。そして画像をパソコンで再生すると同時に、記録した匂いを再現するという仕組み【写真19】。人間の感覚による官能検査によって、このシステムの再生の効果測定を実施し、動画に合った匂いを提示できたことが確認された。
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【写真14】視嗅覚情報の同時記録再生装置の実験構成。記録部にデジタルビデオカメラと匂いセンサ、再生部には匂い調合装置を利用
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【写真15】匂いセンサの事例と構造。感応膜が覆われた水晶振動子で、匂いによって出力する発振周波数が変化する。中央、右側は表面実装タイプの小型匂いセンサ
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【写真16】匂いセンシングシステムの原理。いくつかの匂いセンサをアレイとして配置。匂いを通過させて、それぞれのセンサの応答からパターン認識する
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【写真17】匂いセンシングシステムを用いた記録・再生システムの構成。対象臭をセンサアレイに通して匂いセンサの応答を記録。この記録情報を基にパターン認識をさせ、匂い調合装置で匂いの再生を行なう
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【写真18】視嗅覚同時記録の実験結果。数種類の果物の匂いを97%の確率で識別できたという
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【写真19】においを再生するための調合装置のブロック図。要素臭の混合比の設定信号をフィードバックし、調合する匂いの濃度を変更
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● すでに匂いセンサを用いたロボットへの応用も研究
このような匂いに関するユニークな研究は、サンプリングした匂いのカートリッジを取り付けた新しいゲーム機や、視覚や聴覚を出力するヘッドセットに匂いのファクターを加えたウェアラブルコンピューティング、さまざまなアートやパフォーマンスの表現活動などにも幅広く応用が利きそうだ。
実際に来場者の中には、この分野で表現活動をしているビジュアル&オルファクトリーアーティストも参加しており、自分の作品に匂いの技術を反映できないか質問している場面も見られた。また、この匂い調合機は実用面も進んでおり、某香料メーカーに納入され、調香師のツールとして利用される予定もあるそうだ。
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【写真20】中本高道准教授。数年前に匂いセンサを採用したロボットの研究を試みていたそうだ
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本サイトの読者が気になるロボット分野での応用についても、すでに中本准教授【写真20】は匂いセンサを利用したロボットの研究を数年前に試みていたそうだ。これはロボットに匂いセンサを取り付け、匂いのある方向に進んでいく「匂い源探知ロボット」と呼ばれるもの。「研究レベルでは自由に動き回れる駆動系を手に入れることが難しいため、動力源をロボットではなく人にゆだね、手に持って匂いの源をさぐる匂い源探知コンパスといった研究もしていた」という。
段差などがあっても自由に動き回れるようなヒューマノイドロボットが、将来的に家庭に普及したとして、そのとき匂いセンサによる嗅覚機能を装備していれば、さらに面白い展開になるだろう。
家の中のさまざまな匂いを検知して、たとえばガス漏れや火災などの異常をかぎつけ(決められた経路を巡回するのではなく、匂い源によって原因となる場所を特定して)自律的に対処できる知能ロボットや、料理をつくる場合でも匂い情報をフィードバックして本当に美味いものを調理できるお手伝いロボットに進化を遂げるかもしれない。
また、その場の状況に合わせてロボットが判断して、人間の心身をリラックスさせる香りを自動的に作りだすこともできるかもしれない。このような想像をあれこれと膨らませると、嗅覚というセンシングがロボットに与える影響はとても大きく、技術的なブレークスルーになる可能性があるものと思われる。
■URL
日本科学未来館
http://www.miraikan.jst.go.jp/
東京工業大学大学院理工学研究科 中本研究室
http://silvia.mn.ee.titech.ac.jp/
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