芝浦工大と日本科学未来館、「東京ベイエリアロボフェスタ」開催【講演レポート編】

~「宇宙基本計画」と月面用二足歩行ロボット


 6月27日、第6回東京ベイエリア産学官連携シンポジウム「東京ベイエリアロボフェスタ ~ロボットを通じた人材育成を考える」がお台場にある日本科学未来館にて行なわれた。主催は芝浦工業大学、共催は日本科学未来館。芝浦工大が毎年開催しているロボットセミナーが10周年を迎えるにあたり、未来館と芝浦工大とのコラボレーションで行なうことになったもの。中高生も多く集まったシンポジウムのほか、芝浦工大のロボット関連研究室がブースを出展し、多くの来場者がロボットと触れ合った。展示では産総研の女性型ロボット「HRP-4C」も静展示のみながら初めて一般公開され、多くの人が写真撮影を楽しんでいた。入場者数はシンポジウムと展示会合わせて2,134人。

シンポジウム

 シンポジウムはまず開会に先立ち、芝浦工業大学学長の柘植綾夫氏が「科学技術が深く浸透した知識基盤社会を支えるためには自由市民が持つべきリベラルアーツとしての教養が重要だ」と挨拶。社会人の科学技術リテラシーの低下が問題だとし、専門教育と教養を結びつける教養教育がこれからは重要だと強調した。

芝浦工業大学 学長 柘植綾夫氏300人入る講演会場はほぼ満席

日本独自の宇宙開発とは? ~月面でのロボット活用を提案した毛利衛氏が直接解説

日本科学未来館 館長 毛利衛氏

 続けて日本科学未来館の毛利衛館長は「ロボットに関して私なりの構想を述べさせていただきたい」と挨拶にたった。毛利氏はまず会場にいたロボット工学の研究者に対して、「何を目指して研究しているのか」「役に立つためだと言うが本当にそう思って研究開発をしているのか?」、そしてそもそも「ロボットは何のためにあるのか」「それを使って人材教育をするとはどういうことだと思うか」と問いかけて講演を始めた。

 宇宙に人類が行けたのは、推進力を持ったロケットと生命維持装置のおかげだ。人類は科学技術を使ったハードウェアがなければ宇宙に行くことができない。ロケットにはさまざまな技術が使われており、それ自体がロボットであるとも言える。宇宙からは人間が作った地球上の構造物は肉眼で見えない。見えるのは自然そのものであり、生き物として見えるのは陸上の植物、森林だという。

 では人間が宇宙に飛び出すということはどういうことだろうか。ロボットは「人間の幸福実現ために研究している」と多くの研究者は語っている。だがこれからは人間中心の見方での「幸せ」だけではなく、いろんな生命種が持続的に生きていけるようなものでなければならないのではないかと毛利氏は呼びかけた。ロボットもこれからは、地球全体が生き延びていく中で人間の活動があるという視点・発想で研究開発を進めないと人類の限界が来る、ロボット技術も地球全体に貢献するようなものが必要ではないかというのが毛利氏の考えだという。

 内閣府の総合科学技術会議宇宙開発戦略本部でまとめられた「宇宙基本計画」の構想の中に、二足歩行ロボットの姿が描かれている。これまではロボットと人間がともに宇宙で活躍するというのは夢物語だった。毛利氏によれば、「日本独自の有人飛行を目指すべきだ」という意見がある一方、「莫大なコストをかけて挑む価値はあるか」という意見も存在している。国際的にも宇宙開発が新しい局面を迎える今、そろそろ日本らしい宇宙開発があってもいいのではないかと考え、二足歩行ロボットによる月探査を提案したのだそうだ。

 新聞等が大きく報道したように、「宇宙基本計画」の最初の案の文書のなかには、二足歩行ロボットや高度なロボットを用いて月面探査をするという項目が入った。ロボットを送り込むことが最終目的ではなく、人間が行くことが前提で、2020年までに日本が月面に探査機を送るという話だ。これにはパブリックコメントが多数寄せられたように賛否両論があった。多数の意見を受けて、毛利氏は多くの人に直接説明しなければと考えたという。そして今日が一般の人向けに自身の考えを直接説明する第一回に相当すると述べた。

 毛利氏はまず、宇宙で使われているロボット技術を振り返った。いま、日本の若田光一宇宙飛行士が、国際宇宙ステーションの日本の「きぼう」モジュールほかで活動している。スペースシャトルの問題で1カ月間、国際宇宙ステーションでの滞在が伸びたが、それは「うらやましい」と毛利氏は語り、会場の笑いを誘った。「きぼう」では今後、宇宙空間に暴露された船外プラットフォームの設置が予定されている。宇宙空間で実験を行なうためだ。宇宙ステーションの外に出るには宇宙飛行士が与圧服を着る必要があるが、それは大変なので、そのまま作業するためのロボットアームがある。また単独では小惑星探査を行なう「はやぶさ」がある。小惑星サンプルリターンを目指した探査機だ。「これはすごいロボット技術といえる」と毛利氏は強調した。このほか、現在構想されているローバーなどがある。だがもっと精緻なものにしていく必要があるという。

 毛利氏は「これまでの宇宙開発では有人か無人かという議論が多かった。だが、日本として新しい、有人・無人を合わせた独自の宇宙開発があるのではないか」と語った。有人探査は生命を賭けて行くことになるので、生命を守るために何重もの冗長性が必要になる。そのために高度な技術開発を続けてきた。いっぽう無人探査は生命の心配がないので、思い切って、地上の技術を転用できる。宇宙開発のプロダクトは、これまではゼロから開発していたために民生品よりコストがかかっていた。だが、いまやそういうことができる時代ではないという。民間の優れた技術を宇宙開発にスピンインすべきであり、また、宇宙開発で培われた極限技術はどんどんスピンアウトして、研究開発を通して出てきた技術を社会に還元するべきだという。

 ロボット開発にも同じ事が言えるという。人型ロボットの開発は、産業的に非常に裾野が広く、将来の日本の問題を解決する可能性を持っている。毛利氏は「二足歩行ロボットの研究目標を、期限を切ってはっきりさせると開発が急速に進むのではないか」と語った。多くのロボットの研究者は視覚や聴覚、運動制御など個別に研究をしているが、もっと総合的に、「ある目標のために」という意識が共有されたほうが開発が進むのではないかという提案がロボット研究者からあったのだそうだ。そのために、月面に行って、そのロボットは何をするという目標を立てて、最終目標をはっきりさせることが、研究を進展させるのではないかという。

 月に関しては中国が有人の探査を目指しているという話がある。それに対して日本が対抗してやるといったような時代は過ぎた、という。アメリカがやったことをただ目指せば二番煎じだ。それでも国威発揚できるのであれば行く意味はそれなりにあるかもしれない。だが1969年に初めて月面に降り立ったアームストロングは米国国旗を立てたが「これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては大きな飛躍だ」と言った。国ではない、人類。最初に行くということはそういう意味があった。

 しかしながら今の時代はもう国威発揚ではないし、40年以上経っているわけだから、当時以上のことをやらないと駄目だという。今なら当時以上のことをロボットでもできますよということを見せるのが良いのではないかと毛利氏は述べた。そして、いずれはロボットだけではなく、人間の科学者が行くべきだという。人間が行かないと、人間が発する哲学は出てこないからだという。そのためにまず有人用の2分の1スケールの宇宙船を開発・製造し、それにやはり2分の1スケールの人型ロボットも作って本当に高いレベルでシミュレーションを行なうべきだと述べた。

 ではなぜ人型なのか。それは将来実際に人を送り込むためのシミュレーションであると同時に、日本らしい「文化」なのだと毛利氏は語った。日本では、「鉄腕アトム」以来、人型ロボットには親近感や愛着がある。「『文化』は多くの人の支援を受けられる。大きな予算を使う宇宙開発は、大勢の支援を受けないといけない。国民がわくわくするようなものでなければならない」と述べた。

 最後に毛利氏は会場にいた高校生たちに対して、「2035年頃に、宇宙でロボットと働いてみたいと思わない?」と問いかけた。「少し憧れます」と控えめに答えた高校生に対して「是非、実現してください」と答え、「皆さんへの期待を込めて話を終わります」と締めくくった。

「芝浦工業大学少年少女ロボットセミナー」の10年の歩みと今後の展望

芝浦工業大学教授 水川真氏

 芝浦工業大学教授で工学部長の水川真氏は、「芝浦工業大学少年少女ロボットセミナー」の10年の歩みと今後の展望と題し、これまでのロボットを使った人材育成教育に対する哲学と実践について解説した。既に受講者は1万人を超えたという。水川氏によれば、モノを知らない若い人が増え、また知識はあるがそれがモノと結びついていない人が多くなってきたそうだ。さまざまな研究がコンピュータ上でできるようになった結果、研究はできるが、実際にはモノを作れない、ドライバーすら使えない人が増えてきたそうだ。ドライバーは軸方向に力をかけてまわさないとねじの頭がつぶれてしまう。そういう当たり前のことを体感して理解している人が減ってしまったという。

 水川氏は自身の子供時代を振り返った。肥後の守を使って工作をしたりして遊んでいたそうだ。高校でも自動車やバイクをいじっていたが、数学がわからなくて困った。「何となく分かっている」というだけでは高校からの数学はついていけない。そのため一度リセットして、論理的に考えるようにしてから数学もできるようになったそうだ。一浪して早稲田大学に入ったあとは70年安保闘争時代で、クラスで二人だけスト反対したり、暇だったのでコンピュータの勉強をし、まずはFORTRANでプログラムを作ったりした。また大学の講義を聴いてはじめて、子供のころの工作の理屈が分かり、自分のなかで抽象化することの面白さに気づいたという。3年で人型ロボットの研究で有名な故・加藤一郎氏の研究室に入り、ロボットの研究に携わるようになる。1972年、世界で初めて等身大の人間型ロボット「WABOT-1」が開発される。ロボットの力制御の研究を行なっていた水川氏は、「WABOT-1」のアームの制御に携わった。

 その後、電電公社に入社して記憶装置の研究に携わり、NTTへ民営化後は、技術資産を外に出すためのチームに入る。学生の面倒を見る仕事は継続して続けており、その後、2000年に芝浦工大に着任した。ロボット研究の発展の歴史を振り返ると、コンピュータの性能が上がったことが非常に大きいという。ロボットは大学でも人気講座になった。だが、まだビジネスになっていない。時計をばらばらにして組み立てられなくて泣くような経験も踏まえて、モノをさわるというのはとても大事だと考えているという。大学まで継続してセットで教育を行なうことを目指して、「少年少女ロボットセミナー」は10年間行なってきたという。

少年少女ロボットセミナー受講者は累計1万人超「WABOT-1」。右は30年以上前の水川氏水川氏が研究開発していた「WAM-4」
愛知万博で出展されたロボットいちばん変わったのはコンピュータの性能芝浦工大の教育プログラム。2003年にはグッドデザイン賞を受賞

 たとえば、「ボクサー」という六足のアルミ製ロボットを作る。脚のリンクの構成やねじの締め具合で、動いたり動かなかったりする。よくよく見るとと間違っている、そしてばらばらにする、そういう過程を繰り返すことで、力加減や構造を理解することが大事だという。また、マイコン制御の基礎を学ぶためのロボット教材もある。

 原点はダ・ヴィンチだという。ダ・ヴィンチはなぜできたかよく観察し、本質を見抜いて真似ることができた。そしてなんらかの要求に基づいてまとめあげることが工学では重要になる。そのためにも本物を知らないと頭のなかだけではなかなか実践できない。水川氏はギヤボックスを組み立てる子供たちの様子を示した。落ち着かない子供も、面白い体験を自分のなかで発見することで集中することができるという。ロボットセミナーでは、技術点だけではなく外観などデザインに対する芸術点もつけるようにしている。シンガポールでやったときには、技術の理解と、それを使う表現には国民性が出ることがよく現れたという。最終的には競技会を行なう。ロボフェスタでのイベントの様子を見ると、子供たちはロボットと一体になって一緒に体を動かしながら操作している。それだけロボットに夢中になっているということだ。

 水川氏は、観察して、「どうしてだろう」と思うこと、疑問を発することがとても大事なことだと述べた。そして仮説を立て、検証する。それは他のことにも適用できるだろうかと考えることが重要だ。また、本物を見せることはとても大事だという。例えば、日本の美術館ではスケッチなどは禁止だが、ルーブル美術館では子供たちが床に座ってスケッチをしているという。そのように、本物を見て感じる時間がとても大事だと強調した。

カリキュラムで製作するロボット小中学生向けセミナーの様子デコレーションも評価ポイントになる
シンガポールで行なったときの様子。お国柄の違いが出る競技会も行なわれる観察と模倣から仮説・検証へ

 ロボットは、ボディがあって、外界の情報を取り込むメカニズムがあって、処理結果を物理的に、すぐにリアルタイムで働きかけて実行するシステムだ。ロボットの要素技術にはさまざまなものがあり、基盤となる工学は細分化されている。大学には学問の専門で入ってくる。そのため学生は各分野の専門家にはなることができるが、世の中が求めるのは問題解決なので、他の分野のことも知らなければならない。また初等中等教育や自然科学と、大学以降の工学との橋渡しがうまくできていないという。だから勉強する意欲がわきにくいのだと水川氏は指摘した。

 そこでロボットを楽しみながら作る小学生たちと同じ経験を与えるために、大学1年生向けには、白い床面上に引かれた黒色ライン上を走るライントレースロボットで、ものづくり教育を行なっているという。専門科目をやるときにその理屈を理解するための道をつけるためだ。半田付けから教え、秋葉原で部品買出しツアーを行ない、ハード設計、回路設計を行なわせる。だが最初に実装したものは無茶苦茶であることが多い。実際に組み立てる経験を積むことで実装で実地に体験して考えるべきことも教えていく。特に、一方的に教員が知識を与えるのではなく、互いにスキルを確認しながら学び合える「場」を学生に与えることが重要だという。また、科学、工学、技術、の違いも意識するべきだという。

 ロボットにはいろんな分野の知識がある。これを教えやすい教材セットが重要だと述べた。手作りでもできることはできるが指導者は簡単に増えないため、世代・学年間が協力し合うような場を作ることが拡大再生産で指導者を作ることにはとても大事だと述べた。

 何より一番大事なことは「自己発見」であり、そのためにトライする回数が多い場をいかに与えられるかだ。問題解決は縦割りの専門分野ではなく、雑学的な知識や発想が必要になる。水川氏は学生たちには、秋葉原へ行って、ジャンク屋に行って使えそうなものを探せと言っているそうだ。実世界には災害や高齢化といった課題がある。そのなかでロボットが活躍することが期待されている。水川氏自身は、生活を見えないところで支えてくれる、さりげなく人を助けてくれるところにロボット技術を入れて行きたいと考えているという。水川氏は最後に、論理的に構造化された記号と実体の差や、文化として技術を理解するリテラシーを身に付けることの重要性を説き、芝浦工大の校歌の歌詞を紹介して、講演をまとめた。

ロボットというシステムロボットを支える学問分野買い出しも自分で行なうことが大事
実装を体験する製作したロボットと学生たち場を作る事が重要

「ロボット技術と私たちの未来」情熱が世界は変える

独立行政法人 産業技術総合研究所 主任研究員 梶田秀司氏

 独立行政法人 産業技術総合研究所 主任研究員の梶田秀司氏は、「ロボット技術と私たちの未来」と題して、二足歩行ロボットのこれまでの歴史とこれからの展望について講演した。水川氏らが開発に携わった早稲田大学の「WABOT-1」の時代(1973)、梶田氏は小学生で、大いに心躍らせたそうだ。「WABOT-1」は静歩行だったが、梶田氏が大学生のとき大きな出来事が起こる。1980年に、世界で初めて前後左右にバランスをとって、絶えず転倒制御を行ないながら歩行する動歩行ロボット「Biper-3」が東京大学の下山勲、三浦宏文の両氏によって開発された。

 このあと梶田氏は二足歩行ロボットの研究に携わることになるのだが、そもそもは「どうしてロボットを歩行させるのが難しいのか?」「僕ならもうちょっと簡単に歩かせられるだろう」と思ったことが、二足歩行ロボットの研究を始めるきっかけだったという。その後、1985年に機械技術研究所(当時)に就職した梶田氏は二足歩行ロボットの研究を始めるのだが、苦闘することになる。梶田氏は、1989年に開発した「Meltran II」という動歩行ロボットでの実験の模様をビデオで示した。超音波センサーで床面までの高さを見ることで歩行する二足歩行ロボットだ。当時、計算はNECのPC-9801で行なっていたという。歩幅に限界があるので、ときどき調整しなければならず、またうまく歩けないこともある。その様子に会場内では時折笑いが起きていた。なおこのあたりの歩行制御の仕組みについては梶田氏自身のホームページで解説されている

初期の二足歩行ロボット。右端は梶田氏が研究開発した「Meltran II」【動画】歩行の様子【動画】歩行実験は苦労の連続

 梶田氏が会場に示したビデオを撮ったりしていた直後にあたる1996年12月、大事件が起きる。ホンダのヒューマノイドロボット「P2」の発表だ。「P2」はコンピュータもバッテリも搭載し、完全に紐なしで歩けるロボットだった。しかも階段を登ったり、傾いた床面で動的にバランスを取る様子も同時に発表された。以前はロボット工学の研究者でも、そもそもそんなロボットはできないという人もいたし、また、二足歩行は役に立たないというのが大勢だったのだが、ホンダ「P2」の発表で、大きく世の中が変わってしまったと梶田氏は振り返った。

 そのなかで1998年に始まったのが、5年間、総予算46億円でヒューマノイドロボットの応用可能性を研究する「HRP」である。「HRP」の後期、民間企業と産総研が共同で開発したのが2002年に発表された「HRP-2P」だ。二足歩行ロボット「HRP-2P」は、頭部に搭載された3台のカメラを使って物体を認識し、人間と協調して机を運んだり、転倒制御を行なうことができた。アニメーションのメカデザイナー出淵裕氏が外装のスタイリングを手がけ量産機となった「HRP-2」は、各研究室で使われている。

 たとえば東京大学池内研究室では人間のモーションキャプチャーのデータをロボットが実現できる動きに変換することで「会津磐梯山踊り」を「HRP-2」で行なうことに成功して記者発表を行なった。このあたりは本誌ならびに僚誌の「PC Watch」の記事でもレポートしている。一方、会場は初見の人が多かったようで大きなリアクションがあった。

ホンダ「P2」の発表が衝撃を与えたヒューマノイドの応用可能性を探る「HRP」が始まる【動画】「HRP-2P」の開発のための試作ロボット
2002年、「HRP-2P」発表【動画】「HRP-2P」の転倒制御と転倒復帰の実験の様子【動画】「HRP-2P」の体操と机の協調搬送
「HRP-2」は研究プラットフォームとして使われている

 「会津磐梯山踊り」が思いのほかウケたことや万博での経験がその後、2009年に発表された「HRP-4C」に繋がることになる。近未来に二足歩行ロボットができる仕事として、エンターテイメントが想定されたのだ。「HRP-4C」はそのために、より人間に近い形態・運動制御を目指して開発された。「HRP-4C」は既にファッションショーでの挨拶も行なった。そのときは、人間のナレーションが喋ったとおりにロボットの唇をリップシンクさせて動かしたという。

サイバネティック・ヒューマン「HRP-4C」開発のねらい「HRP-4C」と人間の骨格「HRP-4C」スペック
【動画】モーションキャプチャーデータを使った滑らかなターン動作【動画】音声認識のデモ。来場者たちのリアクションにもご注目頂きたい【動画】ファッションショーに出演したときの様子

 梶田氏は、なぜヒューマノイドロボットを開発するのかについても述べた。メディア報道ではヒューマノイドが目立つが、実際には多種多様なロボットが開発されている。ロボットの形態は目的によって決まる。ではヒューマノイドが適した分野は何か。梶田氏は毛利氏の講演内容を受けて、月面も一つの例だと述べ、よく期待される「家事手伝い」は極限作業よりも、もっとも難しい仕事だと述べた。またヒューマノイドを10年間研究してきたことから、その過程でさまざまな先端的なことが分かってきた面もあり、ヒューマノイド研究が実用的なロボット技術への突破口をもたらす可能性もあるという。

 未来はどうなるのか。2050年には体重30kgで自分の体重の3倍以上の重量物を運べ、時速60kmで走行し、燃料電池搭載で3日間補給無しで動ける二足歩行ロボットができるのではないかと梶田氏は予測を述べた。会場は現状のロボットとあまりに違う未来の夢にどよめいたが、梶田氏は、自身が東工大時代に作った二足歩行ロボットを見せた。そのロボットから24年経った今日の結果が「HRP-4C」だ。梶田氏は2つのロボットを比較し、「24年前にこういうロボットが実現できると予測できた人は1人もいなかった」と言い切った。

 世の中がどう変化していくかは誰にも予測できない。だが、梶田氏は、理由は分からないが自分がなぜか惹き付けられる、「面白い」と思うことに忠実に従ってきたという。そうしていると、少数だが、やはり同じように「面白い」と思った人がだんだん寄り集まってくる。「同じ情熱を持った人が集まれば、世界は変えられる」と梶田氏は中高生たちに呼びかけて講演を締めくくった。

さまざまな形のロボット家事手伝いはもっとも難しいヒューマノイド研究が実用的なロボット技術への突破口をもたらす
2050年のヒューマノイド1985年に梶田氏が東工大で製作したロボット24年前にこんなロボットが実現できると予測した人は居なかった


(森山和道)

2009/6/29 14:43