通りすがりのロボットウォッチャー

ロボットに託して未来を創ろう

Reported by 米田 裕

 今年ちょっと欲しいと思ったロボットは、フランスのアルデバランロボティクス社の「NAO」だ。

 身長は58センチというから、人の膝ぐらいの高さがある。

 全身はプラスチック製の成形されたカバーで包まれていて、内部のメカは見えない。背中側から見れば、ネジ穴が見えたりするが、全体的に製品として完成されているように感じる。

 これならば家に置いておきたいと思わせるが、まだ一般には販売していないとのことだ。

 そして、その価格は1万2,000ユーロだという。この原稿を書いた現時点では約157万円となる。

 大衆車クラスの価格だ。その昔、まだソニーがQRIOという小型二足歩行ロボットを開発していたころ、その価格は乗用車1台分ともいわれたが、その乗用車が大衆車なのか、はたまたベンツやポルシェ、フェラーリなのかはわからなかった。

 NAOの価格は、トヨタ車ならヴィッツ、ホンダ車ならフィット相当といったところだろうか。

 これは高いのか安いのかということになると思うが、約157万円という金額は、実際に自動車を買う人がいるように、手が届かず無理という金額ではない。ローンとかリースを使えば大多数に手が届く現実的な価格だ。

 しかし、買っても何に使えるかということになると、そこで購入を躊躇をしてしまう人が大半だろう。

 自動車は、人の移動や物資の運搬といった、生活のなかで使える機能を持っている。

 公共の移動機関の利用や、運送業者に頼めばそれらは実現できるわけだが、快適性や利便性を求めれば、自分で自動車を持っている方がいいという考えになる。そのために代価を払って所有してもいいと考えるのだ。

 ではNAOというロボットではどうだろう?

 NAOのサイズを考えると、日常生活のなかで物理的に人間の手助けをすることはむずかしそうだ。

 現在のところ、NAOはロボット研究者や学生たちが、プログラムを作り込むためのプラットホームであるということだ。

 ロボカップ二足歩行タイプのプラットホームでもあるという。ロボットのサッカーでは、判断、行動による連携や、攻撃、守備といったさまざまな要素をプログラムによって実現させていく。

 製品としては、買ってきてすぐに使えないとなると、半完成品だ。

 普通の人たちにとって、プログラムをすることはむずかしい。たとえ、どんなに簡単な方法でできるとしても、なかなか手がでないと思う。

 まだ一般に売ることはできないと、アルデバランロボティクス社でもわかっているようで、一般向けのバージョンを模索しているという。

新しもの好きが社会を動かす

 その昔、1970年代に登場したパソコンは、自作プログラマー向けのものだった。

 一般人はパソコンを買っても、どうしていいかわからないものだったのだ。N88ベーシックなんて言語で、マニュアルにあるサンプルプログラムを打ち込み、RUNすると、円が画面に表示されて「すげー!」と感激したりするものだった。

 味をしめてサンプルプログラムの書かれた本を買ってきて、数ページにわたる長いプログラムを打ち込み、RUNするとエラーで動かないなんていう寂しいこともあった。

 それがいつの間にか、ワープロを使って文章を書き、シーケンサーを使ってMIDI機器を制御し、音楽を奏でたりするようになった。

 もう少しグラフィックの性能があがると、ペイントソフトで絵を描いたり、3Dのコンピューター・グラフィックスを作るようになった。

 パソコン通信なんてのも始まった。当時はテキストを送るのがせいいっぱいの速度で、機種によっては漢字表示ができないため、文字はANKという1バイトで表現できるアルファベットや半角カナで表していた。

 当時のパソコンも、一般的な生活のなかでは何に使えるかわからないものだったが、PC-9801の本体に20MBのハードディスク、モニター、ドットインパクトプリンターといったセットで買うと約100万円近くになったのではなかったかなぁ?

 1980年代後半のMacintoshなら100万円以上するのはは当たり前だった。だから医者や弁護士など社会的経済的ステータスの高い者でないと買えないコンピューターだったのだ。

 その時代に、そうしたパソコンを買う人がいたのだから、いまでも、何に使えるのかわからないロボットに150~200万円を出す人はいるだろう。

 そうした人々のことを「イノベーター」というのだそうだ。

 これは、米国の社会学者エベレット・M・ロジャーズが最初に使った用語で、まだ普及していない新しいモノやコトを「イノベーション」と名付け、それが社会に浸透していくときに、それらを採用した人々を5つのカテゴリーに分けたうちのひとつだ。

 もちろん、「イノベーター」は、いちばん最初に採用した人々のことを指す。

 次の段階の採用者を「アーリーアダプター」といい、ロジャーズの普及モデルのなかでは最も重要だとされている。「イノベーター」と「アーリーアダプター」をあわせた割合が16%を超えたときに新しいモノやコトは、急激に普及するという。

 このアーリーアダプター層へNAOを売り込みたいと、アルデバランロボティクス社は考えているようだ。

 それにはどんな機能をソフト的に作り込んだらいいのか? まだ誰もが参加できる余地があるのではないだろうか。

創成期には素人にもチャンスがある

 いろいろなことが始まるときには、それの専門家はいない。誰にでもチャンスがあることになる。

 かくいう僕なんぞも、この世で最初に出版した本はコンピューター・ミュージックの本だった。

 シーケンスソフトを使って、MIDI楽器を鳴らし、音楽にするにはどうするかという内容で、楽譜にある音楽記号の見方や、MIDIコントロールの使い方を書いた、いま思えばビックリもので、冷や汗の出るような本だ。

 現在、コンピューター・ミュージックは、ミュージシャンのものになった。コンピューターが当たり前のものとなり、GUIの発達でソフトの使用法や操作も楽になったため、音楽を作る人の直接的な道具となったのだ。

 外部にMIDI機器をつながなくても、コンピューター内だけで完結するシステムとなっていて、音もクォリティが高い。MIDIによる遅延をフォローする打ち込みテクニックなどを考えなくてもよくなり、ミュージシャンが純粋に音楽を作ることだけに集中できるようになった。

 そうなると、もはや素人が入り込む余地はない。

 このように、新しいモノやコトが熟成してしまうと、その道の専門家が活躍するようになるが、自律するロボットはまだまだ創成期なんだと思う。だから、まだ誰もが関係していられる混沌とした状況がある。

ロボット開発という列車にはまだ乗れる

 僕がロボットに関するコトを書き始めて10年となる。まだまだ誰もがロボットについてワァワァと参加できる余地があるので、書いていられるのだろう。

 個人的にはロボットの外側、見える部分のデザインをやってみたいとも思う。

 1980年代からSFの挿絵をやってきたので、ロボットを描く機会も多かった。その時代ごとのトレンドがあるので、それに影響を受ける。挿絵を始めた最初のころはスターウォーズに登場するロボットの影響が濃かった。

 つぎの時期には有機的な形態となり、ホンダのP2が発表されてからは、駆動部分の形を描くときに参考にさせてもらった。

 ロボットも2050年あたりに実用化したいというのなら、来年あたりからは次の10年へとステップをあげてほしいものだが、どうなっていくのだろう。

 すべての未来へと向かうベクトルが、昔ほどは強くない。1970年あたりには、毎日が未来へ、未来へとのかけ声で、21世紀初頭には、宇宙旅行や磁気浮上列車は当たり前のものとされていた。

 現在、そうしたものは商業サービスとしては実現してないわけだが、技術的というよりも経済的にブレーキがかかっているものも多いと思う。

 未来へと向かう革新的な技術も、最終的には利益をあげないと続かない。その利益をあげるには、商品として売り出すか、サービスとして提供して、一般大衆から代価を広く徴収することになる。

 このときに高すぎるものは売れないし利用されない。広く普及しないかぎり利益はあがらない。利益が見込めないものは推進されない。

 社会全体に金銭的な余裕があれば、どこかで無理をしてでも開発がされるだろうが、余裕のない社会では、開発もストップしてしまう。

 ここ数年、経済状況は悪化しているが、そのためにロボットの開発にもブレーキがかかってほしくはない。

 未来を実現していくのは、夢の力だけでなく、金の力でもあったと思い知らされているが、利益のあがるものでないと開発もされないとなると未来も遠のいてしまう。

 自律し、知能を持ったロボットの登場には、そのロボットが利益を生むことも必要となってくるだろう。

 数百万円の小型ロボットが売り出されるとき、どんな機能を持っていれば買いたいと思われるのだろうか?

 そこへ参加し、未来へと目盛りの針を押し進めることは、まだ誰にでもチャンスがある。だからロボットは面白いのだ。


米田 裕(よねだ ゆたか)
イラストライター。'57年川崎市生。'82年、小松左京総監督映画『さよならジュピター』にかかわったのをきっかけにSFイラストレーターとなる。その後ライター、編集業も兼務し、ROBODEX2000、2002オフィシャルガイドブックにも執筆。現在は専門学校講師も務める。日本SF作家クラブ会員




2009/12/25 16:32