「SUSHI職人」からロボットベンチャーの社長へ

~ジェイエス・ロボティクス佐藤仁氏が「いたばし産業見本市」で講演


 「第13回いたばし産業見本市」が11月19日(木)~11月21日(土)の日程で、東京都板橋区立東板橋体育館で行なわれている。テーマは「いたばしものづくり・ビジネス展示会」で、板橋区の中小企業の技術展示が行なわれているのだが、今回は特別展として「ロボット」が企画され、独立行政法人産業技術総合研究所の協力で小型ヒューマノイドロボット「HRP-2m Choromet(チョロメテ)」、体操ロボット「たいぞう」、あざらしロボット「パロ」などのほか、ロボットベンチャー4社からなる「関東ロボット連合」、ロボット専門ショップ「Robotma.com」などがブースをかまえてロボット展示を行なっている。

産総研のブースチョロメテ関東ロボット連合ブース
株式会社ジェイエス・ロボティクス代表取締役 佐藤仁氏

 特別展関連として20日にはロボットベンチャーの株式会社ジェイエス・ロボティクス代表取締役の佐藤仁氏が「SUSHI職人からロボット工学者へ@ヘンシン」と題して、自身の半生を振り返りながらベンチャー企業の役割について講演を行なった。佐藤仁氏はカナダ在住時代から「Jin Sato」としてレゴ・マインドストーム関連の執筆活動も行なっており、Webサイトやロボコンでもこの名前で活動していたので、「佐藤仁」よりも「Jin Sato」の通り名のほうがなじみ深い読者もいるかもしれない。この記事では佐藤仁氏の講演をレポートする。

 佐藤仁氏は1960年生まれ、山形県鶴岡市の出身。23歳にカナダに移住し、その後カナダで23年間過ごしたあと、4年前に46歳で単身帰国、「ジェイエス・ロボティクス」を起業した。佐藤氏はもともと中学生時代には模型飛行機が好きで、大会に出たり、近所の模型屋と一緒に「鶴岡フライングクラブ」などを作って活動していたという。大会での成績は「超低空飛行」だったが、飛行機の設計をするために勉強もして最適な翼の面積を求める方法を自分で考え出したりするなど、飛ばすよりもむしろ「作る」ほうが当時から好きだったという。

 その後、高校時代にはバイクにハマったそうだ。自分でタンクをFRPで作ったりして改造もしたという。だがこれまた走るほうは比較的のんびりで、やはり作るほうが好きだったと語る。その後、佐藤氏はエンジニアとしてある自動車会社に就職するが、一念発起して日本を脱出し、海外へ渡ることを決意する。渡航先に選んだのはカナダ。だが当時のカナダでは特定の職種、特にあまりカナダにいない職種の人しか移民を受け入れていなかった。日本人として希望されていたのは、料理人、それも和食か寿司の職人だった。佐藤氏は、食のほうもものづくりという面では同じだと考えて料理人として渡ることにした。ではどうして寿司職人を選んだかというと、和食は1年に一度しか穫れないような魚の調理、特に煮魚を覚えるために上達に時間がかかるが、寿司のほうが上達が早いということで、寿司職人になることを選んだのだそうだ。こうして、若き日の佐藤青年は「寿司シェフ」としてカナダに渡った。

 カナダはもともと移民の国。割と分け隔てなく皆が接してくれたという。佐藤氏も客とのコミュニケーションを楽しみながら寿司を握っていたそうだ。いっぽう、ソフトウェアの開発も引き続き行なっていた。その縁で知り合った会社の関係者からうちに来ないかと言われてソフトウェア会社へと転職。当時はグラフィック関連やデータベース関連のソフトウェアなどを開発していたという。たとえばパスポートを検索するソフトウェアなどを開発していたそうだ。

 カナダは「人種のるつぼ」ではなく「人種のモザイク」のような国だと佐藤氏は語る。それは一人一人のバックグラウンドを大事にしており、るつぼのように解け合うことはなく、だが互いに組み合わさって社会が構成されているからだ。人口密度の低い国だからそれが成立するのかもしれない。人口調整する場合も、ある程度の技術を持った人しか入れないようになっているが、日本もこれから少子高齢化に応じて移民を受け入れなければならなくなったときにはそのようなことを考えなければならないかもしれないと語った。また海外に渉ったことで、日本の常識は非常識なんだなと分かったことがもっとも大きな意味があったと述べた。

模型飛行機好きだった時代「すしシェフ」としてカナダへ。写真は実際に佐藤氏が握った寿司移民の国カナダは「人種のモザイク」だという
レゴマインドストームにはまった時代

 30代になって、仁さんはレゴ社の「レゴマインドストーム」と出会う。マインドストームは1998年にレゴ社から発売されたロボットキットだ。レゴでロボットが組めるということで話題になり、今でも販売あれている。佐藤氏はこれにはまり、当時の家には、レゴブロックだけで数万個あり、気が付けば数百万円も使っていたそうだ。当時、レゴで作った作品を見ると、当時からムシ型のようなロボットが好きだったらしいことが分かる。これが1998年頃のことだ。

 また、1999年にソニーから犬型ロボット「AIBO」が発売された。初期型はあっと言う間に完売で、手に入れることができなかった。そこで佐藤氏はレゴマインドストームで、AIBOのような犬型ロボット「MIBO」を作ったりしていた。このような活動を佐藤氏は「Jin Sato」としてネット上で発表していた。それがMITメディアラボの関係者の目に止まり、イベントに呼ばれて出かけてレゴ社の人にあったり、またレゴマインドストームの書籍を刊行したりすることになった。当時のことを佐藤氏は「人から『馬鹿』と言われるほどレゴをやっていたらおまけがついてきた」と振り返る。

 余談だが記者個人も当時、「Jin Sato」氏のホームページを参考にして、マインドストームを組んだことがある。当時、Jin Sato氏のWebサイトは、マインドストームに興味がある人なら参考にするために必ず見るような有名なサイトだった。

虫型ロボットやバイク型ロボットなどをマインドストームで製作レゴで作ったMIBOマインドストームによる人との出会い
本格的なロボット作りへ

 そしてその頃から40代前半にかけて、佐藤氏は本格的にロボットを作り始める。2000年頃のことだ。ちなみに二足歩行ロボットによるバトル大会「第一回ROBO-ONE」が初めて行なわれたのは2002年2月である。ロボットを作り始めると加工機が欲しくなる。買ってくれば簡単だが趣味なのであまりお金はかけられない。なのでIBMの古いプリンターからステッピングモーターなどを抜き出し、加工機を自作した。このときには高校生や自動車会社時代に身につけたスキルが役立った。

 ソフトウェアも必要だ。CNCマシンを制御するためのCAMソフトも作った。現在、シェアウェアとして400人くらいのユーザーがいるという。アルミに着色するためのアルマイト加工も自分で勉強して始めた。車のバッテリから希硫酸を取り出して使ったり、いろいろしている間に、色が安定しない理由が電流や温度にあると分かって来たりする。そうするとだんだんメッキ作業そのものが楽しくなり、ロボットが作りたいのかメッキがしたいのか分からなくなったと佐藤氏は冗談を飛ばした。

加工機械を自作するCNCマシンを作るCAMソフトを自作する
アルマイト設備を自作するモーションエディタを作るさまざまなロボットを製作
「自分を変える」ためにダイエットにもチャレンジ

 その他、モーションエディタなども自作し、4、5年かけて、いろいろな道具を作って、だんだんとロボット作りの環境を整えていった。そして、佐藤氏は日本へ帰国し、起業を決意する。4年前だ。だが最初はうまくいかなかった。「ものづくりオタクみたいな人がいきなり社長をやってもうまくいかなかった」と佐藤氏は当時を振り返る。そこで2年目には、まずは「経営者」として自分を変えようと考え、ダイエットにも挑戦し、106kgあった体重を30kg以上落とすことに成功し、それに連れて売り上げも上げて行った。そして3年目には数値目標を立てた。今年は4年目で、自社開発製品を販売することを目標にしている。

 自社開発製品とは子供用の教材ロボット「てんとう虫ロボット」だ。子供の手のひらの上にも乗ってしまうような小さなロボットで、車輪もない。代わりについているのは歯ブラシで、携帯電話用の振動モーターを使って歯ブラシを動かすことで移動する。タスクは光センサーによるライントレースだ。ラインの上を動くことで音を鳴らして、音楽を奏でさせるようなこともできる。たとえば昆虫の絵を描いて上に貼付けられるなど、身近な身の回りのもので子供達が改造して楽しめるように工夫したという。

「てんとう虫ロボット」を持つ佐藤氏

 もうひとつの大きな特徴は、パソコンを使わなくてもプログラムができること。紙で作ったバーコードを光センサーで読ませることでプログラムすることができる。なぜPC抜きでプログラムできるようにしたかというと、「ものづくり教室」ではパソコンを借りてやることが多いが、子供たちが作った自作ロボットを持って帰っても、自宅にパソコンがないと動かせないのでは、結局、ホコリをかぶってしまうと考えたからだという。

 5月に開発終了し、8月に秋葉原のロボット専門店「テクノロジア」等で4,980円(税別)で販売を始めた「てんとう虫ロボット」は、11月には茨城県新分野開拓商品事業者の商品としても認定された。このロボット開発にあたっては最初から「軽自動車で一回事故ったくらいの金額以上はかけない」ことを目標に開発を行なったという。今後は、外国で生産することも考えているそうだ。

てんとう虫ロボットの開発てんとう虫ロボットの概要歯ブラシで動く
バーコード上をなぞることでプログラミングできる音楽を鳴らすこともできる茨城県新分野開拓商品事業者に選ばれた
てんとう虫ロボットゴキブリが佐藤氏のお気に入り裏面。両脇についている歯ブラシの振動で動く

 メーカー勤務の技術者からカナダへ渡り、日本に戻ってきてベンチャー会社を立ち上げた佐藤氏は最後に、ベンチャーを立ち上げて考えたこととして、「ベンチャー企業は社会に対して白血球のような役割を果たしているのではないか」と述べた。身体は傷つてばい菌が入ってくると免疫系が働いて修復を行なう。それと同じようにベンチャー企業も、世の中の変化があったときにアイデアを出してものを作り出していくからだ。ベンチャー起業の場合は、大手メーカーと違ってあれこれ考えるよりも、まずはパッとやってみることも多い。それが社会の解決のヒントになる場合もある。

 少人数ベンチャーならばオーバーヘッドリスクも低い。かといって失敗ばかりしていても困るので10個出して一個くらいはヒットしないといけない。佐藤氏は最後に「板橋区には技術力のある小さい会社がたくさんあると聞いている。今はすし職人がロボット研究者になってもいい時代なので是非チャレンジして欲しい」と語った。

 このほか佐藤氏は、産総研では、筋電でロボットを動かす研究にも関わっているそうだ。研究を通して感じたことは、大事なことは機械を動かすことよりも、その経験を通して脳がちょっとずつ変わっていくことだったという。筋電やBMI(ブレイン・マシーン・インターフェイス)は念じるだけでテレビのチャンネルを変えられるとか、身体が不自由になったときに機械でそれを補うといった利点もあるが、本当に大事なのは自分の脳みそを変えていくことで、「自分で自分の脳みそを変えていくのが人生なのかなと思った。ニューロフィードバックとロボット技術をうまく組み合わせると、機械を通して、自分をちょっとずつ変えていくことができるのではないか」と語った。このほか音楽療法士との共同研究のようなことも行なっているという。

 楽器だけあっても音楽にはならない。音楽を奏でるためには、演奏者を育て、演奏できる場所を作り、観客を集めないといけない。ロボットも、単にモノを作るだけではだめで、演奏者を育てたり、場所を作るようなことをしないといけないのではないかと佐藤氏は語った。

佐藤仁氏の語るベンチャー起業の役割佐藤氏が作った筋電で動くロボット。キャラは産総研のマスコット

 「いたばし産業見本市」では土曜日に、迷路コースタイムトライアルを行う「ものづくり体験教室 小学生親子対象ロボコン」や、「いたばし産業見本市ロボットコンテスト」として、二足歩行ロボットで2分間のコース周回数を競う「ジムカーナ」、ジムカーナの上位8台によるロボットバトルなどが行なわれる予定。そのレポートは別途、本誌でレポートする。


(森山和道)

2009/11/20 21:14