東京ユビキタスガイド2009(後編)

~企業が運用しているサービスをレポート、坂村健氏へのインタビューも収録


 東京のユビキタスシステムを紹介する「東京ユビキタスガイド2009」。東京都の推進する「東京ユビキタス計画」、その一端として正式運営されている東京都庁展望室および上野動物園のユビキタス情報サービスを紹介した前編に続き、後編は企業が運営するサービスを紹介。東京ミッドタウンの「ユビキタス・アートツアー」、伊勢丹新宿店屋上庭園アイ・ガーデンの「ユビキタスガイド」、そして北品川から青物横丁までの旧東海道沿いでティエイディが展開している「東海道五十七次ユビキタス計画」の3つだ。本格運用されているこれらの様子と、実際に利用させてもらったレポートをお届けする。それと合わせ、牽引役の東京大学大学院情報学環教授兼YRPユビキタス・ネットワーキング研究所所長の坂村健氏へのインタビューも掲載。日本のユビキタスの現状、世界の動向などを聴かせてもらえた。ぜひ最後までご覧いただきたい。

敷地内の多数のアート作品を案内してくれる東京ミッドタウンのユビキタス・アートツアー

 10ヘクタールもの防衛庁跡地を三井不動産が再開発して、六本木の新たな名所となった東京ミッドタウン。高層ビルのミッドタウンタワーなど複数の施設と、緑のオープンスペースが広がるミッドタウン・ガーデンなどの屋外スペースで構成される広大な敷地の各所には、一部を除いて触れることも可能なアート作品が多数設置されている。それら多数の作品を見て回れるのが、日本初のユビキタスによるガイドシステム「ユビキタス・アートツアー」だ。

 コミュニケータの道案内に従って進んでいくと、さまざまなアート作品にたどり着く。もちろん作品ごとの情報をテキスト、写真、ムービー、音声などで紹介してくれる。ちなみに、東京ミッドタウンでは「JAPAN VALUE」というコンセプトを掲げており、新しい日本の価値、感性、才能を世界に向けて発信していくべく、敷地内には美術館やデザイン関連施設も建てられている。アート作品を気軽に楽しんでいただきたいという思いから、JAPAN VALUEとユビキタス技術を融合させ、このようなナビゲーションツアーを行なっているそうだ。

六本木の新たな名所となった東京ミッドタウン下から見上げた中核施設のミッドタウンタワー
東京ミッドタウンの夜景無造作に触れるどころか、座ることすらできてしまうアート作品が敷地内の各所にあるのが特徴

 ユビキタスシステムというと、マーカなどの近くまで自分で行かないと情報が提示されないイメージがある。しかし、ここではナビゲーションというだけあって、マップも表示されるし、コースを間違えても正しい方向に誘導してくれる。しかも、プラザ地下1階から始まって、地上1階に上がって屋外を巡ったり、時にはオフィスビル内をエレベーターで上り下りしたりと、立体的なルートで案内してくれるので、少し変わった感覚を味わえる。利用料金は貸出料500円+保証金500円の1,000円(保証金はコミュニケータの返却時に返金される)。11時から18時(最終貸出16時)までが利用時間だ。45台が用意されており、中学生以上から利用が可能。小学生以下は、保護者の同伴が必要となっている。

 コミュニケータの特色としては、本体とクリップ式のイヤフォンという構成。コミュニケータ本体のデザインは、上野動物園で使われている物に似ている。ただし、上野動物園のコミュニケータはucodeリーダが独立していて手首に装着するタイプだったが、こちらは本体に内蔵されているタイプだ。また、タッチパネルの操作を考慮し、スタイラスが用意されている点も特徴。また、ソフトケースを用いるのではなく、直接本体にストラップが備えられているデザインとなっている。

コミュニケータ一式。スタイラスがついているコミュニケータ本体前端
右側面。画面を戻る時などに使う「Back/Stopボタンがある左側面。画面の明るさの調整ダイヤルがあるアート作品のそばには赤外線マーカが天井などに設置されている
無線マーカも各所に設置されており、道案内などもしてくれる

 アートツアーのコースは複数用意されており、見たいジャンルや目的など7種類から選べる。オススメは、屋外・屋内問わず東京ミッドタウン中のアート作品と建築デザイン24作品を堪能できる「120分フルコース」だ。そのほかは、代表的なアート作品と建築デザインを見て回れる「30分ハイライトコース」(40分)、アート作品のみの「アート堪能コース」(80分)、建築デザインのみの「建築デザインコース」(50分)、ミッドタウン・ガーデンを散策しつつアート作品と建築デザインを見て回れる「庭園コース」(50分)、大きな彫刻のみにフォーカスした「大きな彫刻コース」(60分)、雨の日でも濡れることなく室内からアート作品を紹介してもらえる「雨の日コース」(80分)も用意されており、まさにお好み次第。なお、カッコ内は行程時間だが、おおよそのもので、その時間通りに回らないと行けないとか、1分でも過ぎると超過料金が取られるとか、そういったことはないのであまり構えずに利用してほしい。

 取材では、120分フルコースを体験させてもらうことにし、安田侃氏の白大理石製のアート作品「意心帰」から出発。座ってもOKの作品なので、驚きである。ここから地上1階に出て、屋外へ。試しに示されていない方向に行くと、しっかりルートをチェックしてくれ、少しすると道を間違っている旨のメッセージと、CGの矢印が描かれた正しい進行方向の風景画像が表示された。東京ミッドタウンの地理に疎かったので、自分だけで回れるか心配だったが(広報さんもひとり一緒に回ってくれたのだが、その方は120分コースを未体験だったため、記者とはそう変わらないレベル)、問題なく案内してもらえた。取材時は、1作品1作品、作者のインタビュームービーやコメントまではあまり見ずに先へ先へと進んだので、全行程を1時間ほどで終了。結構ノンビリ回っても、コミュニケータの稼動時間2時間の時間切れになることはなさそうな雰囲気だった。ちなみに、回っていて気持ちよかったのは、やはり開放感のあるミッドタウン・ガーデンや芝生広場などの屋外スペース。休日に骨休みするのにとてもいい、さわやかな場所であった。

スタートは意心帰120分フルコースのコース案内マップも表示でき、現在位置がわかる
ルート案内。実際の風景にCGの矢印を重ねた画像が表示される開放感のある芝生広場には、フロリアン・クラール氏の「フラグメントNo.5」などがあるミッドタウンタワーの上階にある「No.2W061216」。背景の東京の景観も作品の一部という感じ
【動画】クリエイターへのインタビューなども動画として多数が収録されている

 今後の予定は検討中ということだが、アート作品の追加や変更、案内ルートの変更などがあれば、当然ながらコンテンツ内容も追加・変更をしていくそうである。また東京ミッドタウンは、ITやハイテクなどのイベントにも力を入れており、8月23日(日)まで「夏休み東京ミッドタウン親子ツアー」を開催中だ。小学1~6年生とその保護者が対象で、コミュニケータを利用し、ツアーアテンダントが東京ミッドタウンの見所を紹介する有料イベントである。1日2回(11時30分と15時)実施しており、料金は小学生700円で一般1,500円。申し込みは電話で行ない、03-3475-3290(受付時間11~18時)となっている。ぜひ六本木の新名所とアートとハイテクを一度にまとめてお子さんに体験させてあげてはいかがだろうか?

2人で利用できるコミュニケータを用意した伊勢丹新宿店の屋上庭園アイ・ガーデン

 続いては、大手デパートの伊勢丹新宿店を紹介しよう。同店では2006年に屋上緑地化を実施し、庭園「アイ・ガーデン」を憩いの場として一般にオープン。2050平方メートルの面積を持つアイ・ガーデンには、春・夏・秋をテーマにした庭が用意され、冬のものも含めた四季折々の草花約350種が植えられている。昔から日本人の暮らしと関わりの深い、里山で見られるような素朴な草木が採り入れられている点が特徴だ。春の七草、秋のススキなど、懐かしさを感じさせてくれる草花が多い。そうした草花たちの紹介用に利用されているのが、「ユビキタスガイド」というわけだ。

伊勢丹新宿店。新宿通りと明治通りの交差点にあるアイ・ガーデン。屋上とは思えないが、伊勢丹マークの見える角度から屋上であることがわかる
アイ・ガーデンの秋の庭から夏の庭(西方向)を見て撮影。西新宿の高層ビルが見え、不思議な感じ屋上には、伊勢丹の守護神・朝日弁財天も祭られている。1933年の新宿進出時に、市ヶ谷の甘酒屋から移設

 ここのコミュニケータの特徴は、イヤフォン用のピンジャックが2つあること。親子や、おじいちゃん・おばあちゃんと孫、カップルなど2人で一緒に音声ガイドを聴けるというわけだ。ほかのコミュニケータはだいたい1人用になっており、2人で音声を聴きたい場合もイヤフォンを回して2回コンテンツを再生する必要があるが、アイ・ガーデンのコミュニケータはそうする必要がない作りになっている。なお、2人で利用したい場合は、一緒に借りることが可能だ。

コミュニケータ一式コミュニケータ本体。専用工具を使うことで、分割させられる仕組みになっている。画面を戻す際に使うボタンがある右側面
画面の明るさを変更できるダイヤルがある左側面予備のイヤフォン・ヘッドフォン用ピンジャック端子。2人で仲良く聴ける

 アイ・ガーデンには、11カ所にICタグを備えたポールが設置されており、そこにコミュニケータをかざすと周囲の植物に関する情報を得られる「草花ガイドツアー」が開く。また、草花ガイドツアーだけでなく、子供向けのコンテンツとして、クイズに答えることで環境について学べる「環境クイズラリー」も用意されている。また、ポールにはQRコードも用意されており、携帯を使ってこちらを利用するとインターネット経由で「はなせんせ」にアクセスでき、やはり植えられている草花の詳細な情報を得られるという仕組みだ。

アイ・ガーデン内の11カ所にこのようなポールがあるポールにはICタグが設置されている「モチツツジ」と、コミュニケータの草花ガイドのその解説
春・夏・秋とそれぞれの季節ごとの庭を訪ねてみると、また違った景観を楽しめる伊勢丹新宿店で買い物をした時は、絶対に屋上に寄るように。素晴らしい眺めを味わえる

 コミュニケータの貸し出しと返却は、6階のアイキッズカウンターで行なっている。通常時は2台が用意されているが、夏休みなど親子連れといった利用者が増える時期は、配備台数を増やす可能性もあるそうである。アイ・ガーデン自体の開園時間は、3~10月の春・夏・秋の3シーズンは10時から19時。11月から2月の冬場は10時から18時と1時間早くなっている。

 実際に利用させてもらった限りでは、さすがは大手デパートというだけあって、「庭園」の名にふさわしくしっかりと管理されており、まさに憩いの場という赴き。伊勢丹新宿店は東新宿エリアにあるので、西新宿ほど高層ビルが周囲にあるわけではないのだが、それでも人工的な環境の中にこれだけ緑があるのは心身にとてもいい感じで、もっともっとこうして屋上の緑地化を促進してもらいたいところである(管理が大変だとは思うけど)。

 また、記者は草花に関してかなり弱いので、「これは何」と思った時にユビキタスで確認できる仕組みがあるのはいい具合である。できることなら、こんな感じで、東京中の街路や公園に植えられている草木全部にucodeを割り振って、せめて名前だけでもわかるようにしてもらいたいところだ。

 ちなみに、「花ごよみ」というパンフレットも常備されており、こちらでも草花の種類を知ることが可能。さらにこの花ごよみは、クイズ形式になっている一部の植物のラベルの答えを確認するのにも使える仕組みである。あと、アイ・ガーデンに関して感じたところは、もう少しタグを増やしてもらって、できることなら350種全部の情報がわかればいいのではないかというところ。しかし、それは庭園としての景観の問題もあるので、ポールを立てまくるわけにもいかず、なかなか難しいようだ。何はともあれ、親子で説明を聞ける設計は、コミュニケーションのきっかけにもなるので、いいのではないだろうか。

旧東海道品川宿エリアを散策する「東海道五十七次ユビキタス計画」

 最後に紹介するのは、ティエイディが展開している「東海道五十七次ユビキタス計画」。NPO法人歴史の道 東海道宿駅会議、旧東海道品川宿周辺まちづくり協議会、さらにYRPユビキタス・ネットワーキング研究所とキリンビバレッジの協力を得て実施しているプロジェクトである。

 都内では北品川から青物横丁辺りまでの旧東海道品川宿エリア約2kmの一般道で実施されているが、現在は対象を旧東海道全域の宿場町に拡大し、全長500kmに及ぶプロジェクトが進行中だ。東海道五十七次ユビキタス計画は、その昔、江戸と京都を結ぶ街道として栄えた東海道の各宿場町にユビキタス技術を導入し、かつて人々が交えた頃のように人と人がつながる情報を配信し、宿場町の利便性を活かした「未来の宿場町」を創造していく計画ということである。

東海道五十七次ユビキタス計画のポスター旧東海道の品川宿エリア。北品川から青物横丁までの広い一般道でプロジェクトは実施中だ目黒川にかかる旧東海道の品川橋。風情のある作りになっている

 本来は「東海道五十三次ユビキタス計画」として、同社の地元の品川宿エリアのみを対象とし、2007年9月にスタート。旧東海道品川宿周辺まちづくり協議会の情報発信プロジェクトのひとつとして、地元の各種史跡の案内や商店街のイベント情報の配信など、地元の活性化を目的に社会貢献的な意味合いも含めての計画であった。それがキリンビバレッジの協力で進められていた自動販売機プロジェクトとの連携を得られたことで、旧東海道五十三宿に旧大阪街道の高麗橋までの四宿を合わせた計五十七宿に拡大し、2008年に東海道五十七次ユビキタス計画となったのである。キリンビバレッジが、ジュースの自販機を旧東海道らしい和風デザインのスペシャルバージョンを開発し、それを各宿場町に設置する計画で、ティエイディはその自販機に東海道五十七次ユビキタス計画のICタグとQRコードを用意したプレートを組み込み、旧東海道全域でユビキタス情報サービスを行なうというわけだ。

 当初の東海道五十三次ユビキタス計画で、品川宿の商店街の街灯に設置され、現在も活用中なのが「ucodeプレートVer1」。ucodeとQRコードが用意されているので、YRPユビキタス・ネットワーキング研究所製のコミュニケータか、携帯電話などでインターネットを経由してユビキタス情報サービスを利用できるという形だ。自販機に組み込まれるプレートは「ucodeプレートVer2」で、品川宿エリアでは2カ所に設置済みだ。これもコミュニケータと携帯電話の両方に対応している。また、保土ヶ谷など品川宿エリア以外の地域でもキリンビバレッジが自販機の設置をスタートしており、今年度中に各宿場町に合計で60台ほどが順次設置されていく予定となっている。

ucodeプレートVer1。東海道五十三次ユビキタス計画で開発され、現在も利用されている実際に旧東海道の街灯にコミュニケータを近づけて、その場所がどこら辺かの情報をゲットキリンビバレッジの和風デザインの自販機。屋根瓦、家紋、和風の文様など江戸風味
ucodeプレートVer2。自販機は、品川橋を渡って旧東海道を青物横丁方面へ進むと、右手に見えてくるコミュニケータはYRPユビキタス・ネットワーキング研究所製の初期ものを使用このコミュニケータのポイントは、スピーカーがあるところ
前端。受光部やカードスロットなどがある後端。接続コネクタや充電用端子などがある右側面。ここにもコネクタがある
左側面にはイヤフォン・ヘッドフォンの接続ピンジャックなんと裏面にはカメラも用意されている

 なお、これまで紹介した4施設がすべてクローズドな空間(都や企業の所有地)なのに対し、ここでは一般道というオープンな場で行なわれているのが大きな特徴だ。もっとも、本来想定しているユビキタス社会は公共の場にもいくつものセンサーやタグなどを備えることになるわけだから、それを先取りした形といえよう。それから、京急線北品川駅から同新馬場駅辺りまでの品川宿エリア北側は、商店街の街路灯を新しいものに替えるのと、電線の地中埋設化工事が行なわれている関係でプレートが一時的に外されており、ユビキタスシステムは利用できない状態となっている。将来的には新しい街路灯に加え、寺社境内、史跡近辺などにも設置できるデザインにしたVer1プレートの改良型を設置する予定だ。

 品川宿エリアでは、前述したようにQRコードを読み取れる携帯電話があればユビキタス体験ができるが、コミュニケータを利用してみたいという人は、京急線新馬場駅が最寄りの品川宿交流館3Fのティエイディの開発センターで借りることが可能だ。実際に体験させてもらった感想は、商店街もあり、普通に人々やクルマが往来している中で、非常にさりげなくユビキタスシステムが街中に組み込まれているというのが新鮮な感覚だった。

 街中にどれだけの案内が必要なのか疑問に思うかも知れないが、意外とお寺などが多いし、交流のある東海道の宿場町の各所から贈呈された史跡の松の木などが植わっていたりもする。また、旧東海道をどちらに進むとどの駅の方面に出るかといった、道案内もしてもらえる。とにかく、日本人なら小学校の高学年以上になれば誰でも知っているような、歴史的な存在である旧東海道が、最先端の技術まで備わっていて、非常にうらやましい限りであった。

品川宿交流館。1階は休憩所兼交流の場。写真は2階の様子で、資料館となっている保土ヶ谷宿から送られた街道松。何気ないように見える木々にも、経歴があったりする品川宿周辺の東海七福神のマップ。カタカナの通り名もあるけど、江戸風
街中のプレートでは、こうしたどっちに行くとどの駅の方面に行くかも教えてもらえるもちろん東海道に関する情報も用意されており、これは小田原城を写した小田原宿【動画】荏原神社を紹介した動画。動画も多数収録されている

坂村健氏インタビュー

 最後は、ユビキタスの推進役である、東京大学大学院情報学環教授兼YRPユビキタス・ネットワーキング研究所 所長 坂村健氏へのインタビューだ。YRPユビキタス・ネットワーキング研究所にて実施した。まずは、東京ユビキタス計画で年1回実施されている実証実験や、都庁での運用開始についてからうかがってみた。

東京大学大学院情報学環教授兼YRPユビキタス・ネットワーキング研究所所長 坂村健氏研究所の入口を入ってすぐの部屋にもこうした機器が設置されている

――今年の2月から3月にかけて、銀座エリアと西新宿エリアで実証実験が行なわれ、4月からは西新宿エリアの中の東京都庁展望室で運用がスタートしました。実証実験や都庁での運用に関して、どのような手応えを感じていらっしゃいますでしょうか?

【坂村氏】銀座エリアに関しては、ここ何年にも渡って基礎実験を行なっています。なぜ基礎実験をしなければいけないのかというと、こうした新しいインフラを造るには、いろいろと順番を追って確かめていかないと実用に至らないからです。ユビキタスの場合のインフラというのは、街中にコンピュータ――正確にはアクティブタグとか赤外線マーカなど――を大量に埋め込むということですが、こういうことはいままで誰もやったことがない。初めてやることですから、いきなり埋め込めば何とかなるというわけにはいかないわけです。

 銀座エリアの基礎実験は今年で3年目になるのですが、私自身は、5年は試さないとすべてのことを確かめられないと考えています。ですが、少し加速してきていまして、実用化に至るのは当初の予定より早まりそうです。それでもやはり、5年ぐらいは基礎実験をしないと、わからないことも多いのです。

――初めて切り開いていく道なので、当たり前ですが、わからないことがたくさんあるわけですね。

【坂村氏】理論的には予想していても、実際に試してみてやはりうまくいかないこともあります。初めてわかることもありますし、いろいろなことがあります。インフラを造る仕事は、やはり時間がかかります。私もTRONを30年近くやっていますし、いま皆が使っているインターネットだってスタートしてから40年かかっている。ユビキタスも実用化に至るまでに5年、10年は軽くかかります。いまは、それぞれテーマがあって、それに基づいて着実に問題点をあぶり出したり、それを解決したりするということを、ちょうど行なっている段階です。

――基礎実験に関しては、少なくとも5年の内の3年目ということで、進展具合でいえば、半分は超えたという感じでしょうか?

【坂村氏】そうですね。おっしゃる通りです。基礎実験の半分は超えました。先ほどもいいましたが、基礎実験はどうしても5年はかかりますし、本当にユーザーの人たちを参加させてユビキタス都市として実用化するまでは10年ぐらいはかかります。最初からそれだけの年数がかかると私はいっていたのですが、日本の場合、10年も待てないんですね。

――日本人はせっかちというわけですね。

【坂村氏】そうなんですよ(笑)。誰もやってないことをやる時は、どうしたって時間がかかります。例えば、インターネットもさまざまな問題を克服しながら40年でここまで来たわけです。研究所の中でLANを使って実験をするのと、それが実際に一般に使われて1,000万台がつながった時とでは、えらい違いです。

――何が起こるかわかりません。

【坂村氏】その通りです。何が起こるかわからない。シミュレーションだけではわからないことも多い。それから、10個、100個、1,000個、1万個、10万個、100万個とタグとかマーカとかを作る数が変わってくれば、当然のことながら、それに合わせて価格も変わる。実験レベルの10個や100個から、実用レベルの10万個、100万個となった時に、当たり前ですが作り方そのものが変わってしまうわけです。そうしたことも含めて、いろいろなことを克服していかないと、インフラにはなかなかできないのです。

――いろいろといいますと、ほかにも解決すべき問題があるわけですね。

【坂村氏】あります。都市の中に機器を埋め込むということは、技術の問題だけではなくて法律や制度の問題など解決すべき事項がまだまだあります。例えば、アクティブタグを電柱につけようとしますよね。でも、公道にあるものは何を付けてもいいという話はなくて、ちゃんと法律の裏付けがないとならない。現在の技術でいけば、そのタグからネットワークを経由して街の情報だけではなくて、埋められている周辺のお店の情報なども出せるわけです。要するに宣伝になります。ところが電柱につけられる広告は1つだけという規則がある。そうした問題などをちゃんとクリアにしないとならない。

 そもそも、そういう機器を何に埋め込んでいいのか、そしてそこから宣伝情報を発信していいのかということも、関係者全員のコンセンサスを一致させ、法律的な裏付けを取る必要があります。技術的にはいろいろとできるわけですが、現状では法律や制度の問題で、不明確な点がいろいろあるんです。実験ということなら許されても、ずっと設置するにはそのあたりを明確にしないといけない。そういう問題も、実験を通じてはっきりしてきて、最近やっと道路における法的な位置づけが明確になったところです。

――コンセプトやそれを実現するための技術が、すでに法律や制度を追い越してしまっている状況に至っているわけですね。

【坂村氏】技術にしても、まだすべての問題が見えているわけではありません。100個程度のタグならうまく動くとしても、それをいきなり数千個にしたらどうなるか、というのもありますよね。通信のトラフィックの問題もあるし、それから使う人数の問題も、10~20人の時と、100~200人の時と、1万人の時とではまったく違ってきます。

 インターネットも電話もそうですが、突然100万人単位でアクセスをかけたら、当然輻輳という問題が起きます。ですから、どれぐらいユーザーが増えたら、どういう通信トラフィックになるのかとかいったいろいろなことを解決してからでないと、実用化してどんどん行くぞ、とはならないです。

 インターネットも、1990年に一般開放されても10年ぐらいはいまみたいに誰でもが利用するような状況にはなっていなかった。でも、日本の場合は携帯電話と結びつくようなことがあったので基幹網が整備されて、しかも国も相当費用をかけて光ファイバー網を整備しましたよね。そうしたことがあった上でいまがあるわけで、何もしなかったら、こうはなってないですよ。

――ユビキタスも同じように時間をかける必要があると。

【坂村氏】やはり王道はありませんから、いろいろな実験が必要です。わざと負荷をかけて重くしてみるなど、いろいろなことをやっています。ただインフラの場合、ユーザーの立場に立った場合に重要と思う機器がどんどん小さくなるとか、そういう話は実は大きな問題ではないです。

 例えば、携帯電話――私も開発に随分と携わったのでわかるのですが、昔、とんでもない大きさだったでしょ(笑)。それが、マーケット的に「これなら100万個作っても大丈夫だ」となった時に、突然小型化して、突然安価になってくるんですね。専用LSIだって1個が幾らになるかというのは作る総数と非常に関係しているわけですから、その数がある程度を満たせないと小さくするといったこともできない。機器を小さくするというのは初期費用がかかりますから。そういうふうに技術的に可能ではあっても、それがビジネス的に実施できるかどうかは市場によるということはたくさんあります。ユーザー数がある点を超すと、使いやすいとか使いにくいという問題も含め、本当にお金を取って本当に売って本当にやれば、自然にいろいろなことが解決します。

 やはり、インフラを最初に造るということの方が大きな問題で、それは簡単にはできない。ある数がまとまっていないとインフラではないですが、新しいインフラということはその市場自体はまだ存在していないということで、当然数はない――鶏が先か卵が先かということで、デッドロックになってしまうんです。

――いま、まさに道を切り開いているわけですね。

【坂村氏】一番難しいのは公共の場です。割と成功するのはクローズドなところです。例えば東京ミッドタウンとか。あそこは、三井不動産の持ち物の中だけですから、あまりトラブルは起こらない。それから、上野動物園もまず起こらない。やはり一番難しいのは、権利関係が複雑な銀座や新宿など実際の街中でやる場合です。でも、面白いのはそういうところに付いているタグからいろいろな情報を得られることだろうし、またそのタグにユーザーも情報をくくりつけられるなんてことになれば、もっと面白くなる。まさにユビキタスが多くの人の役に立つようになります。

 でも、先ほどもいったようにいろいろなことをクリアしないと、そう簡単にはいかない。例えば、お店はお店でタグを付けるのはいいのですが、その利用を誰にでもオープンにした場合、そのタグに「この店、まずいよ」という情報を付ける人が出てくるのは避けられない。そういう利益相反をどう解決するのかをある程度考えてからやらないと、トラブルの増幅器になっても困るし。

――それは、困りますね。もはや営業妨害の範疇かと。

【坂村氏】ユビキタスとインターネットが違うところは、インターネットと違ってサイバー空間ではないわけです。メモリとハードディスクさえ増やしていけば、サイバー空間は幾らでも増やせて、土地の概念がない無限空間なんですね。でも、ユビキタスは限られた実空間で展開されているわけです。だから、人の土地に勝手に何かを付けるなんてことはできないですよね? 私たちがやろうとしていることは、所有者がみな異なっているという現実の空間に、サイバー空間につながるタグを付けようということなんです。付けないことには始まらないわけですよ。その付けるということが、大変なんですね。付けたくても、そう簡単に付けられない。

――道を切り開くといっても、まさに密林のようなところを、1本1本、太い樹木をオノで切り倒しているというような感じですね。

【坂村氏】もう、ひとつ間違えたら絶望的になってしまう。でも、少し見えてきて、クローズドな部分でタグを付けてということは進みはじめています。しかし、やはり最後はパブリックな空間でないと面白くない。

 例えば、この研究所のあらゆるものにucodeタグが付いています(坂村氏は、ユビキタス・コミュニケータを持って、実際にさまざまなものに近づけて情報が表示されるのを見せてくれた)。これらは購入時期とかの情報が入っていて、全部データベースにつながっているわけです。また、マニュアルにもなっていたりします。異動で担当者が変わっても、これを見ればすぐわかるというわけです。

 ユビキタスが何をやっているかというと、結局このタグをきっかけとして現実空間からサイバー空間につなげているんです。こうしたクローズドな場所なら簡単なわけです。なぜなら、権利関係が単純だから(笑)。どこに付けてもまったく問題ないわけです。しかし、これをパブリックな空間でやろうとしたら、気が遠くなります(笑)。でも、それができなければやっぱり面白くない。

――その実験を、銀座でやっているわけですね。

【坂村氏】パブリックな空間でできるようになったら、未来はとても面白いと思うんです。そのお店の中に入らなくても、お店のことがわる。お店の前に来ただけでメニューが表示されたり、店主が説明してくれたりするわけです。お店の宣伝になりますよね? でも、それだけだと面白くなくて、パブリックについている以上、ブログとかBBSとかでみんながやっているような、そのお店の前に来ると「ここは美味しくなかった」と出るのが本当のオープンでしょう。

 ほかに、東京は残念なことに地震の多い街なので、地下でも壁が崩れてしまったりしても、タグを壁に埋め込んでおけば脱出ルートを教えてもらえる。GPSではどうにもならないですからね。そういうふうにタグを多目的に使う――別の言葉で言えば「ユニバーサルに使う」。それがやはり面白くて、キモなんですよね。インターネットも同じで、何のために使うべきなどということがなく、ユニバーサルだからあれだけ普及した。昔は違ったんですが(笑)。いまや何のために使ってもいいし、実際にみんながいろいろなことに使っています。同じように都市空間にタグを付けたら、みんなの創意工夫や考えでいろいろなことができるようにしたいというのが、我々の希望です。

 インターネットは、あらゆる情報が出てきますよね。そういうオープンな方向にユビキタスを進めていくとしたら、どうしても時間がかかります。いまユビキタスの実現については技術よりガバナンスの問題がどんどん重くなってきています。だれが登録するのか、だれが仕切るのか――つまりはどのように統治するのかとかという問題です。

――仕切りの問題はとても難しそうです。

【坂村氏】ユビキタスでこういうことをやろうというのを世界で訴えていて、つい先日もヨーロッパに行ってきました。都市空間にコンピュータやセンサーを埋め込むだけでなく、さらに制度面でもいろいろ考えないといけないということが理解されだしました。いまEUでもガバナンスの観点からもの凄く興味を持たれています。未完成のものでもどんどん公開して、ユーザーになってくれる人たちがいるのなら、意見を聞こうと思っています。実用にするには端末が大きすぎるなと思っても、実験だからということで理解してもらった上で出して、未来のユーザーになる人たちから建設的な意見を取るというフェーズなんです。公開することで有意義な意見をいただいています。

 いろいろと不満はあっても、今日から使いたいという人もいるので、上野動物園なんかは早く導入しようという声があって、既に実用化しているわけです。また、そういう人たちが逆にいるから、全体が早まって未来に突入できるとも思うんですけどね。都市空間で実用化するには考えているよりもいろいろとやってみた方がいいというのは、わかってきましたし。

――端末のことをうかがいたいのですが、都内5カ所のサービスを体験させていただいて、随分と進化してきているのを感じました。都庁などはかなり新しい感じです。

【坂村氏】そうですね。だいぶ小さくなってきていると思います。ただ最終的には、こうしたコミュニケータの機能は、皆さんが持っている携帯電話に入っていくと思います。今の携帯電話はいろいろな制約があって実験に使えないのですが、最近は携帯端末にも方向センサーをはじめとしてさまざまなセンサー機能が入ってきていますし、プログラミング上の制約も徐々になくなっていくと思います。たた、日本の場合は、やはり最後は技術より制度の問題があるので、携帯にこうした機能が入るのはまだ少しかかると思います。簡単にはいかないですね。たぶん、あと5年ぐらいはかかると思います。

――時間はかかっても、搭載される方向ではあるんですね?

【坂村氏】日本がどうなるというのは何ともいえませんが、私はノキアなどとも交流があり、世界的な流れからいくと必ず搭載されると思います。どこのメーカーとかどこの国が、というのは明確には答えられませんが……。例えば、このランプ(すぐそばのテーブルの上にあるものを指して)にタグが付いていますよね。これは我々が付けたわけですが、将来、あらゆるメーカーが工業製品に対してこうしたタグをつけて発売するようになれば、まずマニュアルなんていらなくなります。しかも、インターネットだから常に最新版が手に入る。紙でもらうよりよほどいいです。資源の節約にもなりますしね。このタグにはucodeが割り振られているだけで、それがサイバー空間につながっているわけですから、サイバー空間での情報の更新は極めて楽なわけです。印刷してしまったら訂正は大変だけど、サイバー空間は間違っていてもすぐに直せる。10分後には更新した情報を出すこともできます。

――ucodeを付けて製品を出荷するような時期はいつ頃になるのでしょう?

【坂村氏】すでにucodeをつけて出荷している製品もありまして、それが一部の住宅用の電池式火災警報器です。いま、法律で定められて一般家庭にも入れる必要があるようになっていますが、動作しなくなると困るので、取り付けた時期、電池を入れた時期などを記録しておきたいわけですね。それで、工場出荷時からタグを付けてucodeを割り振っておくわけです。コミュニケータを近づけるだけで、それらの情報を読み取れるというわけです。また、ある製品がどこに設置されているかもわかるので、何か製品にトラブルがあった時、回収や交換が容易というメリットもあります。

 それで、ucodeを付けた製品がどれぐらい出荷されているかというと、去年だけで100万台です。今年で300万台。もう、実験ではなくて、実用化のレベルに達しているわけです。ですから、そうしたプロフェッショナルな分野からどんどん実用化されていますね。道路に設置して観光情報を提示するといったことは実は最後の最後で、最初に実用化するのはそうした機器――特に公の物のメンテナンスからですね。そうやって何10万、何100万とどんどんタグが付いていったものを、将来的には観光情報を出してもいいように公開しろ、といっているわけです。そうすれば、インフラは自動的にできるじゃないですか。そういうシナリオを考えないと「鶏と卵」のデッドロックから抜けられません。

 銀座で実験するということで、我々が数千個のタグを付けるというだけでも大変ですから、それを全国に展開するとなったら、1千万近い数が必要じゃないですかね。それをどうやって整備するのかまで考えてやらなかったら、それこそ絵に描いた餅になってしまいますよ。私は、ユビキタスが道路や電気・水道・ガスなどの次の都市の最後のインフラだといっているのですが、それを付けるためには、きちんとした計画を立てて進めない限り、アドホックにやったのではいかないな、と思いますね。そういうことを強く感じます。

 ただ、それでもどれぐらいの威力があるかということは、いろいろと公開しているものを見ていただいても、「これぐらいのことはできそうだな」とイマジネーションだけは広がると思うので、ぜひ東京ミッドタウンや上野動物園など、運用している場所で試してもらえれば、便利そうだということはわかっていただけるはずです。

――今後、さらに押し進める上で重要なことは何でしょう?

【坂村氏】いろいろなことと考えつくのですが、重要なことは、標準化と法律ですかね。お店などのタグへのネガティブな書き込みといったことに対しては、ルールを設ければいいと思うんですよ。結局、このタグはコンピュータが理解できる住所表示版なんです。住所を人間が読み取ってそれを携帯電話で検索するという手間をかければ、近くの店の情報もでてきて、そこにはネガティブな書き込みもあるかもしれない。でも、それが名誉毀損だ営業妨害だというレベルになれば、ユビキタスだタグだということを出さなくても、今の法律でだって罰することができるわけです。

 感想をいったぐらいで怒られても困りますが、営業妨害をすればそれこそ刑事告訴できますよ。ですから、そういうルールをしっかり守ればいいわけですし、逆にそういうルールがはっきりすれば、それを守りやすいように技術的に考えることもできます。とにかく、そういうことでちょっとでも危ないからやめよう、という方向になってしまうと、つまらなくなってしまいますよね。まぁ、何にせよ、時間はかかります。ですから、焦らない方がいいです。人生、長いんだから(笑)。


 以上、企業が本格運用中のユビキタス情報サービスおよび坂村氏へのインタビューだが、いかがだっただろうか。ユビキタスは、あらゆるインフラの中でもスタートしてまだ間もなく、まだまだこれからなのだが、日本が確実にユビキタス社会に向かって歩んでいるのがわかってもらえたのではないだろうか。

 もちろん、なかなかスムーズに行かない問題もあるようだが、日本の場合、携帯電話端末にucodeリーダが標準装備されることが大きな転換点になるのではないだろうか。そこを超えれば、インターネットのようにそれほど時間をかけずにあって当たり前というインフラになる可能性も考えられる。何はともあれ、SFの中で描かれているような世界が、我々が生きている間に実現しそうになってきたのは事実。何十年もかかるわけではなさそうなので、ここは坂村氏のいう通り、焦らずじっくり待ってみるのがいいのではないだろうか。



(デイビー日高)

2009/9/3 18:35