富野由悠季監督が語る「ガンダム30周年」

~ニュータイプの概念から次回作のテーマまで


身振り手振りを交えて話す富野監督

 社団法人日本外国特派員協会は7日、有楽町にある同協会本部において、「機動戦士ガンダム」の総監督であり、生みの親でもある富野由悠季氏を招いて、報道昼食会を実施した。30周年を迎え、海外でも非常に知名度があることから、今回の実施に至った次第だ。関係者、日本人報道陣、外国人報道陣が多数集まり、登壇した富野氏の「ガンダム30周年にあたって」と題したスピーチに耳を傾けた。

アニメ・マンガの発展と地位の向上を見てきて

 最初は、幼少時のマンガ・アニメ体験の話からスタート。還暦を過ぎた富野氏であるが、10歳前後の頃は、まだ戦後という時代であり、マンガはくだらない物、ゴミ捨て場に行くような物と語る。ディズニー・アニメだけは例外で、小学校の映画鑑賞の時間に観に行ったが、今にして思えば占領政策の一環だったと感じるという。ディズニー・アニメを見て感じたのは、「なぜここまで暴力的な(オーバーな)動きが必要なのかということと、子供だましだ」という感想しかないそうである。ただ、手描きで絵を動かせるシステムを構築したことと、その根気については凄いことと理解したという。故・手塚治虫氏の「鉄腕アトム」を知って、マンガ家の中にも作家がいるということを教えられたが、アトムはディズニーの影響を受けて生まれたものであり、アメリカのものに凄いと思ってしまったことは悔しかったそうである。

 そうした幼少期から、大学を経て、就職先がない中で、虫プロに拾ってもらったことは命拾いだったという。映画学科に「ただ4年間在籍しただけ」の人間が、映画的な仕事をできるのだからと、自分的にも妥協できたそうだ。虫プロで驚いたのは、動いてない絵で20数分を埋める作品を作っていたこと。そのようなところでしか働けない自分を情けないと思いつつも、わかったこともある。映画的なスタジオワークの手法で作られているということだ。アニメーションは、映画と同じ構造で作りうる媒体であることを理解したという。社会的に認知されていない職業であったからこそ、自分のような特別な能力のない者でも、演出をさせてもらえる余地があった、ともしている。

 その次に職業上で知ったことは、作品のストーリーの決定権を得た時。公共の媒体を使って物語を見せるということで、考えざるを得なくなったのだが、子供に作品を示すということはどういうことか、ということ。児童文学の作法を記した本に書いてあった一行が、その後の富野氏の信条になったと語る。「その子にとって大切なことを本気で話してやれば、その時は難しい言葉遣いでも、子供はいつかその大人のいった言葉を思い出してくれる」という内容だったそうだ。子供に向かってウソをつくな、作家の全身全霊をかけろ、ということだと理解したそうである。

巨大ロボット物のシリーズ専従演出家の道を選んだのは

 ガンダムを始め、数々の巨大ロボット物をこの世に贈り出してきている富野氏だが、決して「好きだから選んだのではない」という。三十数年前、このジャンルだけが、オリジナルストーリーから作品を制作しなければならず、賃金をもらいながら物語を創る訓練の場として、大人の目に魅力的な環境として映ったからだそうだ。その結果が、ガンダムを生む基礎になったのであって、このジャンルの専住者になることを目指したのではないと語る。

 そして、ここら辺から、富野氏が宮崎駿氏のことを非常に意識していることが改めてわかるコメントが出てくるように。宮崎氏と同い年で、初期のころは同じ作品にスタッフとして一緒に参加していたりするわけだが、「彼に差をつけられたのは、彼が作家であって、自分が作家でないからで、それを認めるのは非常に悔しい」という。自分には彼のような作家的才能がなかったからだというのだ。

 また、ロボット物のジャンルの話に戻り、このジャンルを続けてきてきたことで、素晴らしい点もあるという。オリジナルストーリーから創れるジャンルであるということは前述したが、玩具としてのマシン(メカ)とアニメ的ファッション、どのような性格のストーリーも付け加えられるのが、ロボット物のすばらしいところとする。そうした中でオリジナルストーリーを創出してきたおかげで、大人的に内向する物語を創らないで済んだという意味は大きかったそうだ。大人は、現在という事情の中ですりあわせしか考えない社会的動物になるのだから、内向してしまうことを誘導する要素があり、また、一過性的な物語に埋没してしまうという性癖もある。そうした物から離脱できたという意味は、非常に貴重な経験だったとした。

 政治哲学者ハンナ・アーレントの話にもおよび、彼女が指摘している通り、「独自に判断できる人は限られている」、と痛感できる感性を育ててもらえたという。日本の現状は、アニメもマンガもかなりの大人が見ているが、富野氏の年代で嫌悪を感じるのは、「アニメやマンガしか考えていない状態で、作品を創れると思うな」ということだそうである。今の作品が、豊かだとは思えないのだそうだ。

次回作はどんな作品に?

待望の次回作は……?

 具体的に次回作がガンダム系列の作品であるのか、別のシリーズなのか、それとも完全な新作であるのかは明らかにされなかったが、アーレントの影響を受けたのは間違いない模様。「全体主義の問題」をテーマとしたロボット物や可愛い女の子の出てくる作品を創りたいと「野望を持つようになった」と語っている。来年には公にされるようである。

 スピーチの最後は、ガンダムという作品に対し、「今のようなことをいえるようになった地検を啓発してくれる媒体であったと30年目にして認識し、とても感謝しています」とコメント。「大事な作品であるし、その当事者の一員として、このような場に呼んでもらえたことを誇りに思います」として、スピーチは終了となった。

Q&Aも熱い応答が炸裂

 続いて質疑応答に入り、ここでも富野氏は熱い思いを語った。まず、外国人記者からで、韓国と中国のアニメの台頭などについて聞かれると、まず日本の創作行為の流れについて「衰退期」と断言。メディア芸術祭の審査員や学生の面倒を見たりして、若い世代のアニメに対する向き合い方を見ていると、「危険な状況に入ってきている」という。

 アニメ制作は映画的なスタジワークが必要なものであり、それがデジタル技術の台頭で個人ワークが進んでいる。「スタジオワークがないがしろにされているのはいい傾向ではない」と懸念する思いを語った。韓国と中国に関しては、国も力を入れているので、いい才能が現れてきており、「極めて強敵と感じる」という。

 ただ、基本的に不幸なところがあって、CGワークが主流のため、スタジオワークが持っている豊かな世界を創出できない可能性がある。ハリウッド映画が年々つまらなくなってきているのは、「デジタル技術が進歩しすぎて便利になりすぎているから」。韓国、中国、香港、台湾は、デジタル技術を手にしてから創作の世界に入ってきたので、現在は面白くて仕方がないだろうが、そこに危険性があるという。ただし、日本もハリウッドと同じであるとした。本当はもっと語りたいようだが、長くなるので「この話はここまでにします(笑)」で終了。

 次の質問も外国人記者から。スタジオワークではヒット作は創れず、ヒット作を創るには才能が必要であり、その矛盾する部分についてのもの。富野氏自身も、「回答がないから、悪戦苦闘しています(笑)」とする。知っていたら教えてほしいという話だが、ただ全体主義を持ち出したのは、多数決が正しいとは限らず、つまらない方向に行ってしまうから。面白い作品を創るには才能が必要で、スタジオワークという全体主義がダメにしているところもあると語る。個人の才能が光ながらも、それをスタジオワークで実現する方法が必要、ということなのだろう。

ガンダムが30年続いた理由のひとつは「モビルスーツ」の定義

 さらに、ガンダムが30年続いた理由と、ほかのロボットとの違いについて。富野氏は、それについても「わかっていないから、なりゆきでやるしかない(笑)」という。ただ、富野氏自身が自負するところでは、それまでは人型巨大ロボットはマンガ的(子供の物)であったわけだが、それを「モビルスーツ」という兵器としたところに、「僕の才能があったわけで(笑)、それでここまでもったのではないかと思います」とした。モビルスーツという造語に対し、ただの子供向けアニメではないと思ってくれたファンがいたことが、非常に重要なことで、今では日本では(外国人記者からの質問だったため)リアルロボットとして評価されているとも語った。

 ディズニー作品はシンプル過ぎて嫌悪感を持ってしまうが、矛盾するようだけど、物語はシンプルであるべきとし、ガンダムの場合は敵味方を人間同士とした。それまではみんな宇宙人だったわけだけど、敵味方が入り乱れるだけでも斬新だったし、ヒューマンドラマはディズニーがやっていなかったと語る。子供向けだから優しい物を作るのではなく、戦場だからこうなってしまうということを、アニメーションを使って描いたわけで、含蓄のあるものではないとした。「子供も大人も楽しめるのが映画的手法であり、年齢を限定しないというのが僕の考え方。僕の立場でいえば、ロボットが出てくるから売れると考えられている限り、ガンダムの原作者としては敗北だと思う」とし、この質問に対しては終了。

 次は、ガンダムから始まったトレンド、「マクロス」や「エヴァンゲリオン」など、主人公の10代の少年が戦争に巻き込まれ、そのロボットを操作できてしまう文化的背景は? という外国人記者から。それに対し、富野氏は「オモチャ屋がスポンサーだから(笑)」と笑いを取るが、それは半分正解だとも。人型兵器を運用できる世界はどこにあるかと考えたとき、重力下では不可能なため、「宇宙戦争に決めた」。毎週毎週新型のモビルスーツが出てくるという状況は国家レベルでしかなく、やはり宇宙戦争が適しているという具合。では、月までのスペースの中で国家を成立させられるかというところでは、スペースコロニーというアイディアがあったので、それも成立させられた。子どもが操縦できるのは、「超能力者である」と設定したが、30年前でもSFのジャンルの中で使い古されたアイディアだったので、「アムロをニュータイプとした」と語る。

時には鋭い口調で言葉を発する時もあった

 ニュータイプとは何かという概念を語ることは当時では無理だったということで、「つい最近になってやっとできた」とコメント。現在の我々は環境問題に直面しており、このままでは今後1,000年は乗り越えられない。日本の一般の人たちも、変革した新しい人間=ニュータイプにならないとダメなのではないかと、真剣に思われる世の中になってきた。新しい能力を持てる可能性があり、持つための努力をしていけば、我々はエネルギーがなくなった地球でも1万年生きられる可能性を得られるのではないかというのが、ニュータイプのシンボルであり、「この1年間で思うようになった」という。若い世代もガンダムの中にそうしたものを感じたから、30年間も生き延びたのだと思う。だから、ほかの作品とは決定的に違うとし、「比べるな!」という鋭いコメントも。

 さらに話は進み、お台場の1分の1ガンダムの話も登場。富野氏自身は、実物を観る前は「あんなオモチャカラーが18mになったらみっともない」と思っていたそうだが、実物を見て180度変わったそうだ。「オモチャカラーのガンダムは兵器ではなかった。あの色は、政治論や経済論などを超越できる色であり、あの色の上に立って物事を考えられるようになれれば、我々は1万年を乗り越えられます」と熱く、熱く語った。思わず、この言葉はこの日一番で記者の心に響き、涙が出そうになった。関係者席の方々はなんだか違う喜び方だったようだが、子供たちに何があっても1分の1ガンダムを見せなくては、それが小学生の時からガンダムを見て育った、血肉の一部になっているといっていい記者の、すべき使命と感じたほどである。今の日本の先を考えていない政治では、日本は100年ももたないが、あのオモチャカラーは、自由の女神像になると。落ち込んでいる富野氏に対し、「自由の女神なる」といって元気づけてくれた方がいるが、できることなら、記者もあれは永遠にあそこに立っていてほしいと思う。存続活動をしたいぐらいである。そして富野氏は、ガンダムのことを「ただのアニメじゃない、ただのロボットじゃない。ガンダムは凄いんです!」とした。

アニメはコンセプトを定義するのに最も適した媒体

 デジタル技術の危険性に対する詳細について聞かれた時は、「コンピュータはよくできた完了システム」と回答。よくできたシステムは作られた瞬間から独立し、その中にいる人たちは声を出せなくなる。中国も西洋もさまざまな政治システムを構築してきたが、結局は永続的なものはなく、瓦解してしまった。途中、長くなるから「やめましょう(笑)」とし、話を変えて天才について触れる。「天才といわれている人たちは地球を救ったことがない。消費を拡大させただけ。彼らが地球を救えなかったのは、頭だけで考えているから」と切って捨てる。

 人は群れて生きている社会的な動物であり、地球を救う解決方法は、「自分が産んだ子は自分がしっかり育てるということ」という。富野氏自身もお子さんがいるのだが、「自分は父親失格で、仕事ばかりしていて、子育てをしていない。その時点で、社会的な動物といえない」とコメント。また、ガンダムの中で宇宙空間においてヘルメットとヘルメットをくっつけて(それ以外の部分や、モビルスーツ同士でもいいのだが)会話をする「肌の触れあい会話」があるが、「肌の触れあいは非常に重要」とする。それを我々は決定的に投げ捨ててしまった種になってしまったのではないだろうか、というのが富野氏の感じているところのようだ。

 現代のシステムに問題があるとしたら、それを変えるには単純な考え方をしないといけない。社会的な動物ある我々は、子供を見て育てなければいけない。それにも関わらず、それに取り組もうとしていないのが問題だ、とした。

 また、宮崎氏が「作品の寿命は20年から30年」と語ったそうだが、ガンダムは30年で、若い世代への影響はどうか、という質問に対しては、「リアルな命題なので、今後も残るしかない。不幸なことですが」とする。宮崎氏は作品論のことをいっており、「ガンダムはコンセプトを定義しているだけで、作品になっていない。宮崎さんの作品論には沿ってないと思います」とした。

 業界を盛り上げていくものはどこから出てくるのか、という質問に対しては、「わかっていれば私がやっていまして、来年のヒットは全部取るぞ(笑)」とストレートに答える。そして、どんな時代でも、人は同調する者ばかりではなく、異議を唱える者もいる生物なので、この状況の影響を受けている20後半から30前半ぐらいの人たちの中から、アートなり芸能なり新しいものを生み出すのではないかという。あと、2~3年で新しい何かが生まれてくると思う、ともした。「自分は日本人なので、日本人の中から生まれてほしいが、1分の1ガンダムの反応をネットで見ていると、外国人の方がピュアです。ピュアな土壌の方が生まれやすいのではないでしょうか」とした。

 最後は、新作のテーマとして掲げている全体主義についてだが、ジョージ・オーウェル(「1984年」という全体主義を題材にした架空の世界を描いた作品で知られる)の影響を受けているのかどうか、という質問。それに対して富野氏は、「小説を読めない人なので、読んでいません」としながらも、彼がどんなことをいいたかったかのおおよそのことはわかるとした。1949年に出版された小説であり、その時代の全体主義の言葉なので、それを現代に持ち込んでも伝わらないだろう、未来につながる表現ではない、という。

 アーレントのことを知ったのは去年だそうで、彼女の言葉やロジックで知ったのは、「概念は自分の中に閉じこめておくべき」ということ。そのほか、彼女の考え方は自分に近くて親近感を覚えたが、あの言葉遣いでは皆に愛される用になるとは思えない。彼女の本はまだ読んでいる最中だそうだが、その中で自分的に一番驚いたのは、時代の区分の仕方。富野氏自身は、第二次世界大戦で区切るものの見方をしていたそうだが、冷戦時代以前とそれが終わった後という区切りに、驚いたそうである。

 何はともあれ、「少なくとも、彼女のロジックを一般化するために、アニメは素晴らしい媒体であることはわかった」という。つまり、アニメは時代性に支配されず、コンセプトを伝える媒体であることがはっきりしたというわけである。アーレントは、テロはアルカイダが起こすのではなく、全体主義が起こすものだ、とするが、今の話がわかる人はまずいない。それを「これから30年かけて(笑)わからせたい」。

 人と人の間をつなぐのが政治だということ。日本の政治家は、選挙をすることが政治と思っているようだが、とチクリと刺しつつ、「年寄りになったので、こういう言葉使いで、ロボットアニメとかわいい娘のアニメを語ってもいいのではないかと思えるようになったのが、現在の富野です」とし、報道昼食会は終了となった。



(デイビー日高)

2009/7/7 19:41