オープンソース型のロボット・プラットホームを無償提供へ

~世界的に注目を浴びるWillow Garage社とは?


 パーソナル・ロボット向けの新しい基本ソフト(OS)をオープンソースで開発・公開し、それを使ったロボットのプラットホームを世界の研究機関に無償提供しようと活動するベンチャー企業がある。米シリコンバレーにあるWillow Garageだ。利益を稼ぐことを二の次とし、社会に大きなインパクトを与えることを使命とする異色の会社で、世界的に大きな注目を浴び始めている。Willow Garageとはどんな会社なのか、現地で取材した。

 Willow Garageの本社があるのは閑静な高級住宅地の一角だ。シリコンバレーではこれまでに成功しているいくつものベンチャー企業が最初に車庫(ガレージ)の中で製品を開発したという歴史があり、「ガレージ」が技術革新の行なわれる場所を象徴する。Willow Garageは「Willow通り」に面しているため、このような名前になった。ただ実際には同社は食堂やエクササイズ・ルームも備え、敷地面積は2,000平方mを超える。「車庫」には程遠い。

 ここで働いている従業員は現在約40人だ。このうちソフト開発技術者と先端研究に携わるサイエンティストが合計約25人、電気系のエンジニアが5人、機械系が3人、残りが管理・事務職だ。このほかロボットの機械設計は外部チームに委託している。利益を全く出さなくても、「無期限に60人から成る研究所を維持できるだけの財源を持つ」のが同社の特徴で、研究者の数を徐々に増やしている。

 この「財源」は主に同社の創業者であるスコット・ハッサン氏の出資による。ハッサン氏はかつてメーリング・リスト・サービスの開発会社「eGroups」を創業し、その会社をYahoo!に売却した。同氏はGoogleの検索エンジンの大元を開発した主要技術者の一人でもあり、こうした経歴を通じて蓄積した個人資産を今度はロボットの分野に投入しようと、2006年にWillow Garageを立ち上げた。

シリコンバレーにあるWillow Garage社創業者のハッサン氏はオープンソースの信奉者

家事手伝いや高齢者介護用のロボット・プラットホームを開発

 ハッサン氏は「社会に貢献したい」という強い意思を持つ。世界中の人々がソフト開発に協力し、その成果を分かち合うオープンソースの信奉者でもあり、このためWillow Garageの開発方針もオープンソースが主体だ。同氏が関心を持つのは自律型ロボットの領域で、創業当初は無人ロボット船と無人ロボット車の開発にも取り組んでいた。しかし小さい会社で複数のプロジェクトを同時に進めるのは難しいと判断し、1年前にこれらのプロジェクトを打ち切り、「パーソナル・ロボット」の開発プロジェクトに専念することにした。将来的に家事手伝いや高齢者介護などの用途に使われるパーソナル・ロボットを実用化するには、各研究者がばらばらに一から開発していては時間が掛かりすぎる。Willow Garageはみなが共有できる有効な開発プラットホームを提供することで、実用化に拍車を掛けようと考える。

カズンズ社長

 Willow Garageの開発プラットホームとなるロボットの名前は「PR2」。同社のスティーブ・カズンズ社長兼最高経営責任者(CEO)によると、当面のゴールは「PR2を10台、世界の大学や研究機関に無償リースすること」だ。近く、希望する大学・研究機関から、PR2の利用方法に関するプロポーザルを募り、その中から提供先を選ぶ。具体的な採用条件は現在つめている段階だが、基本的に「PR2を大いに使ってもらえて、その成果が最大限に開発コミュニティに還元されると期待できる研究グループ」が決め手となる。プラットホームの提供後もWillow Garageが部品の交換やソフトの改良などメンテナンス・サービスを無償で行なうという。もちろん日本からの応募も可能だ。

 PR2の土台となるソフトが「ROS(Robot Operating System)」だ。開発はすべてオープンソースのポータルであるSourceForgeで公開されている。ROSの使用は一般的な「BSDライセンス」に基づき、非商業目的のみならず商業利用でも無償で使える。ROSの上にのるさまざまなソフトのパッケージも同社で開発中だが、これらは「Apacheライセンス」に則る。「Apacheライセンス」は「BSDライセンス」に似ているが、他者が元のソフトを使って開発したものを特許化し、後にWillow Garageや開発コミュニティを提訴するといったことを防ぐ条項がある。

 カズンズ社長によると「ROSやPR2を使って製品を開発し、事業化してもらうのは大歓迎。そういうことを奨励する一方、ある特定の人がみんなの開発成果を独占することを防ぐため、知的財産の取り扱いについて慎重に考えている」という。

プロトタイプは3台、中間目標は3つ

 では実際にPR2を見せてもらおう。細かいスペックは同社の公式サイトに記されている通りだが、現在は3台のプロトタイプが存在する。Willow Garageでは10台のPR2を出荷するまでに達成すべき3つの中間目標(マイルストーン)を掲げており、これらをクリアするのに3台のプロトタイプが使われているのだ。

 その第1目標は「1日にπ(3.14)kmを2日間連続で自律走行する」ことだった。PR2はこの目標を昨年の12月19日に達成した(第1目標を達成したときの映像はここで見ることができる)。

マラソン試験中のPR2にはアームがなかった

 現在はプロトタイプのうちの1台が、第2目標である「フルマラソンと同じ42kmの自律走行」に挑戦している。ナビゲーション・ソフトの有効性を実証するためだ。ロボットは継続的に42kmを移動する必要はなく、充電や他の実験に短時間使うために走行を中断することはできる。しかし、途中でクラッシュしたり立ち往生したら最初からやり直しだ。私が取材に行った日までには、1日に4kmを2日間連続で走るところまで来ていた。カズンズ社長によると、床の上に靴や平たいモノがころがっているのを検知できなかったり、人を避けようとしてバックする際に失敗することがあり、こうした問題を解決するのに第1目標達成後に新たにソフトを書き加えた。現在はそのバグを修正する作業に忙しいようだった。

 マラソン走行とは別に、第2目標にはアームの性能を確認するという課題も定められている。具体的にはドアの開閉と電源プラグのコンセントへの差し込みと抜き出しを自律的にできるようにするというもので、もう2台のプロトタイプはこれらの作業を練習中だ。取材に行った時は、プロトタイプは3台とも停止していて実際に動いているところを見ることはできなかったが、PR2がドアを開ける動作はここで見られる。またこの映像では遠隔操作でドアの開閉動作が行なわれているが、自律的にできるようにならなければ第2目標はクリアできない。最終的な試験はハッサン氏がWillow Garageの建物の中から任意にコンセントを10カ所選び出し、PR2は2時間以内にそれらすべての場所に移動してプラグを差し込んで抜き出すという作業を繰り返さなければならない。各コンセントに行き着くにはドアの開閉が必須だ。ドアが半開きになっている可能性もある。

ドアの開閉を試験しているPR2PR2の電源プラグ電源プラグは3つの差し込み先があり、裏側には磁石が付いている
移動中はプラグは磁石でロボットのベースに固定するコンセントや壁の色は部屋ごとに異なる

 第3目標は現段階でまだはっきりと定義されていないが、ROSの有用な文書化を目的とする。外部から研究者を招いてワークショップを開き、さまざまな人にソフトを使ってもらいフィードバックを得ることを考えている。ROSの機能を明確にすることで、全く初めて使う人にも「即戦力」として活用してもらいたいからだ。

 Willow Garageでは3台のPR2のほかに、「ロボット」の形はしていないが、中身を全部カートに載せた「テスト・カート」が何台もあった。テスト・カートにアームやヘッドをつなげて、耐久試験が行なわれていた。また外には、高温・高湿度の環境下で耐久試験を行なうための「ホット・ボックス」もあった。「カリフォルニアのように気候の良いところばかりでPR2が使われるとは限らないからね」とカズンズ社長は笑う。

PR2の中身を載せたテスト・カート【動画】アームをテスト・カートにつなげて耐久試験をしていた【動画】別の部屋でもアームと頭部の耐久試験が行なわれていた
会社の裏手には「ホット・ボックス」が設置されていたホット・ボックスの中を摂氏40度、湿度90%にしてロボットを試験した

 これだけの課題をクリアするのは並大抵のことではない。実際、Willow Garageでは当初、PR2の出荷を「2008年末」と計画していたが、すでに半年遅れている。「PR2が丈夫で有用なものであることを確実にしてから出荷したい。出荷後にメンテナンスに追われても仕方がないから」(カズンズ社長)だ。最近は具体的な出荷日程については「第3目標をクリアしてから」と言うにとどめている。

大企業もオープンソースに巻き込む方針

 ただすでに、カズンズ社長が「Global Open Source Robotics Community」と呼ぶ、ROSの開発コミュニティはじわじわと拡大している。スタンフォード大学やペンシルベニア大学の研究者らが深く関与しているほか、Willow Garageでは世界中の大学からインターンの学生を次々に受け入れ、その開発力を最大限に活用している。今夏には20人以上のインターンを受け入れる体制で、そのために食堂の拡張工事を実施する。オープンソースの世界で著名な研究者を社員として雇ったことも知名度・信頼度を高めるのに役立った。

 日本からは今年4月に東京大学の稲葉雅幸教授と研究室のメンバーがWillow Garageを訪問した。そのときの様子の映像はここに上がっている。12日から神戸でロボットの国際会議「ICRA 2009」が開催されるが、Willow Garageはそのゴールド・スポンサーだ。カズンズ社長も日本を訪れ、ICRA初日の前日には東大でセミナーを予定している。

 一方、Willow Garageはロボット用OSをオープンソースで開発する動きに、大企業からも協力を得ようと働き掛けている。「例えばIntelやWalt Disneyは直接ロボットを作ることを商売としていないが、優れたロボット・プラットホームが実現し、市場が拡大することで恩恵を受ける。だからこういった会社が独自に行なっているロボット関連の研究成果もオープンソースで公開するのはメリットがある」とカズンズ社長は主張する。

 Willow Garageでは将来的に、同社からロボット関連ベンチャーが独立して起業することを期待している。今はまだコンシューマー用ロボットの分野は黎明期で、成功するビジネスモデルが見えにくい。それよりもコンシューマー用ロボットの分野全体を「励起」させ、技術開発を促進するような基盤作りに無償で励み、時期が熟したら事業化しようという狙いだ。その際、「ロボット・プラットホームの開発を通じて社員が培った技術やノウハウは必ず生かせる」とカズンズ社長は話している。



(影木准子)

2009/5/11 14:37